宮崎麻衣子写真展-シャドウ・ワンダーランド-キャノンギャラリー銀座
この作家の方法論は明確です。風景、その中で影を撮り続けています。その影をひたすら追い続け、フランス、スペイン、トルコ、イランの旅を続けます。ヨーロッパの、中東の美しい写真が並んでいます。私の好みで言えばスペインの闘牛場の写真が一番好きです。数人の男と牛、それらの影が金色に輝くスタジアムの中で影が伸びています。
当たり前のことですが、影というのは光とその光に晒されるオブジェクトがあることによって、物理的な必然性で生じる現象です。影という明快な必然性に比べてその主体であるオブジェクトにそれほど必然性があるのか、影は常にそれを問いかけているように見えます。
そのオブジェクトが生身の人間だった場合、自らの存在に絶対的な必然性はあるのか、と問われていることになります。その問いかけにイエスと答えられるはずもなく、例えばパリのエッフェル塔の広場を歩く人の影の写真を見て、その存在の危うさを感じてついつい引き込まれるように見つめてしまいます。何故見つめてしまうのか? その影を見つめている私という存在の危うさを見ているのに過ぎないと言うことに気がつかされます。
この写真展を見終わったあと、帰り道私はひとり夕暮れの銀座を歩いていました。歩道に写るのは、金色に輝くヨーロッパの陽の光ではなく、街中に錯綜する街頭やディスプレー用のサーチライトから放たれる光による影です。街を照らすたくさんの光から、私の足下を中心に放射状に広がる複数の影ができています。私だけでなく、私を通り過ぎる人たちも同じような影を抱えています。幾重にも重なるその影は濃淡がありどの影も曖昧で、頼りなく見えます。なるほど、この写真家は影というものに視点を定めたのならば、撮るべきものはたくさんあるのだなと思いました。
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コメント
写真展にご来場頂きありがとうございました。
また、このような素敵な記事を書いて頂き、光栄です。
私は、写真はそこに写ったイメージだけでなく、その枠の外にある世界を
想像させる力がなければいけない、と思っています。
ですので、このように写真の画像の外に想像・思考を進めて頂ける
ことは、そしてそうした想像・思考のフィードバックを受けることが
できるのは、大きな喜びです。
そして、おっしゃる通り、このテーマで撮るべきものはまだまだたくさんあります。
これからもよろしくお願い致します。
投稿: ミヤザキマイコ | 2008年11月12日 (水) 02時15分