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2008年12月28日 (日)

石内都写真展-ひろしま/ヨコスカ-目黒区美術館

写真には絶対に写らないもの、写らない「主体」を写そうとするのが写真家だという仮定に立てば、そのために写真家は何を試みようとするのでしょうか。その答えの一つとして、その「主体」の「周辺」に存在し、「主体」との関連性が明確で、かつ被写体として写るものを写すしかありません。

その「主体」と「周辺」の関係はある時は被害-加害の関係にあるかもしれないし、主人と奴隷の関係かもしれないし、あるいはお互いまったく無頓着でいるかもしれません。

はっきりしているのは、「主体」と「周辺」の関係で、先に「周辺」の方が朽ちたり傷ついてしまうことがあるし、その逆に「周辺」のみが生き残ってしまうということがあるということです。存在の時間は両者でぴったり同じであることはむしろ稀であり、たいていの場合は両者の存在に時間的なズレが生じてしまうのではないでしょうか。そしてその時間的なズレが一つの裂け目のようになって、「主体」そのものが晒されることがあります。

私がこの作品展を見て感じたことの一つとして、この写真家が両者の時間的なズレについて極めて鋭敏であり、かつ意識的であるということです

例えば<アパートメント>と呼ばれる彼女の初期の作品群があります。荒れた粒子のモノクロ写真のそれは、まったく先行きの見えない感じの暗いトーンで、1970年代後半の古びたアパートの写真を撮った作品です。その古びて朽ちたアパートは、おそらく空き屋となってしまったら三日と持たずに崩れ落ちてしまうような建物のように思えます。つまりそこに住む住民の息遣いでようやく存在しているかのようです。つつましいながらも健気に抱き続ける明日への希望かもしれないし、その日を何とか暮らすことができたという安堵感かも知れません。あるいはその住人は零落して鬱屈しているのかもしれないし、捲土重来を期して熱く情念を燃やし続けているかもしれません。

次にこの作家はその「主体」に一番近接している「周辺」、つまり皮膚に眼を向けます。<SCARS>および<INNOCENCE>という作品群です。この「主体」と「周辺」の関係性についてよりはっきり明確なものとなって撮られています。これらの作品では肉体に残されたメスの跡、ケロイド、畸形を写し続けます。傷跡は「主体」までも傷つけているのか、恐らく被ったはずの痛み、傷跡ゆえに失うであろう幸福への絶望、他者への妬み等々、「主体」と傷ついた皮膚という「周辺」の軋みを余すところなく写し出しています。

それでいて例えば傷跡の残る女性の裸体の写真は、神々しくさえ見えるところにすばらしさがあります。肉体は朽ちたり傷ついたとしても、決して傷つかない主体がそこにはあるのだという、作者の願い、そして被写体となった人たち自身の存在の力強さが伝わってきます。

白眉は最後のブースに展示されている、<Mother's>と<ひろしま>という作品群となるでしょう。特に私は<Mother's>という作品には深い感銘を受けました。

この作品は亡くなった母親の遺品、および母親が被った傷跡を撮ったものです。母親が遺したと思われるペチコートを撮った写真があります。その写真は透明な肉体がそこに宿っているかのように肉感的に浮き上がって見え、仄かにエロチシズムすら漂ってきます。

生身の人間としての母親、そしてかつて持っていたであろう性的な魅力を持った存在へ蘇らせる試み。こんな撮り方ができるのか、そして許されるのか? 恐らく男では絶対撮りようのない撮り方だと思います。それゆえにと言っていいかもしれません。遺品という生き残りの「周辺」、その隙間から熱く浮き上がってくる母親の、そしてこの作家の「主体」、私はそれに衝撃をうけていました。

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2008年12月19日 (金)

エマニュエル・リヴァ写真展-HIROSHIMA 1958-銀座ニコンサロン

フランス人女優が撮った写真展です。1958年夏、アラン・レネ監督の有名な映画「24時間の情事」の撮影のために来日し、その合間に撮りためたというスナップ写真です。

彼女自身が保管していたフィルムが、50年の時を経てニュープリントで甦りました。この写真展のもう一つの目玉がリプリントの技術的なすばらしさであり、モノクロプリントの美しさでは最近見た写真の中でも最上級の部類に入ると思います。

被写体となっているのは当時の広島の風景に加えて、広島の人たち、特に子供の写真が中心となっています。写真が撮影された1958年というのは戦後13年、灰燼と化したはずの町は見事に復興していて、少なくとも写真の上からはその傷跡が残っているようには見えません。

子供達の屈託のない笑顔が印象的です。戦後日本の写真、特にその時代の人たちの表情を見ることは現代にとって癒しになっていると思います。現在と比べて決して幸福であるとは思えないにもかかわらず、その笑顔は現代人より輝いて見えるからです。

それは現状は貧しくあっても、未来に対する不安が現代より少ないという、ある種の楽観からくる逞しさでしょう。

語弊を恐れずに言えばHIROSHIMAという政治的社会的に手垢のついた街で、この写真家はそこに住む人たち、特に子供たちの素顔を中心に写真を撮ったこと、その素顔に迫ったことが現代にとってきわめて意味のある写真になっていると思います。その視点の確かさが50年という時間を飛び越えて輝きを失わせない作品の力となっています。

私はこの写真を見ながら、先日ラジオで聞いた話を思い出していました。その話というのは、死んだペットのために年賀状を欠礼し、喪中はがきを出す人がいるという話です。

てっきり若い人の間で行われていると思っていたら、60歳過ぎの年代の方もいらっしゃるそうで、ペットのことを「戦友」と記しているとのことです。

60過ぎの方であれば、この写真展に写されている子供たちと同年代であるはずです。50年の時間を経て、屈託のない笑顔をレンズに向けていた子供と自らのペットを擬人化している老人とと同じ人物である可能性も否定できないわけです。

そんなことを考えていると、戦後という繁栄というものはなんだったのか、平和でありながら結局人々を疲弊させ孤立に追いやってしまった闇の部分を見てしまったような気がします。

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2008年12月18日 (木)

森山大道写真展-物質的誘惑-RING CUBE

銀座4丁目交差点に面したビル、エレベータに乗り合わせた若い女性の肩越しに9階のボタンを押すと、彼女はこのビルの来訪者としては相応しくない風体の私に怪訝な一瞥をくれたかと思うと、エレベータの壁にある掲示板をちらっと見て、そのまま三階の美容室で降りました。その掲示板に挟まれているのは「森山大道写真展 『物質的誘惑』」のチラシ。

私にとって胸がキュンとなる写真があります。それは野球場のグラウンドを撮った写真です。トンボで整地されたフィールドには、コンパクトカメラを片手で撮る彼独特のスタイルの影が写り込まれています。彼が写しているのは四角いベース。それは神々しいほどに白く輝いていて、何十分の一秒の時間差を奪い合うそのボールゲームが行われたスタジアムのざわめきが聞こえてくるようです。

今回森山が選んだ風景は無人の野球場、プール、サーキット、スキーのジャンプ台などの競技場です。モノクロ写真の荒れた粒子の一つ一つに、ちょうどウィルソンの霧箱が宇宙から飛来する放射線の軌跡を捉えるように、その競技場にこだました歓声、行き交う視線、そして選手達の息づかいが刻み込まれています。森山が現像、引き延ばしの過程で味わったと言う、彼の表現を借りれば「物質化」されるそのありさまについて、観る者が追体験するかのようにして会場の写真を追いかけていくことになります。

会場は丸いビルの構造そのまま、写真展を開くのに適しているとは思えない回廊のような形をしています。行く手を塞ぐように吊された写真の間を行きつ戻りつし、思いつくままの言葉をメモ書きをしていました。私は森山大道のことを語ることができる幸せを感じながらも、同時に語り尽くすことはできないだろうというもどかしさを感じていました。

この手のギャラリーとしては珍しく、一角が窓になっていて、銀座四丁目の交差点を見下ろすことができます。眼下にはクリスマスの賑わいの人ごみやネオンサインが見えます。不思議なことに会場を訪れる人は私の他に誰もいません。おそらく日本一の繁華街の真上で私一人、軽い孤独を味わいながら森山大道の写真を独占できる幸せ、そしておそらく彼の写真を観るのにこれ以上の環境は得られないだろうという贅沢さを味わっていました。彼が無人のスタジアムで押したシャッターの音を聞き、乳白色の乳剤に露光する瞬間、ファインダー越し彼が垣間見たかもしれないスタジアムの熱気を見ていました。

雨の銀座、水曜日の午後七時。それは奇跡のような体験のようでした。

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2008年12月11日 (木)

第10回三木淳賞受賞-西村康写真展-彼女のタイトル-ニコンサロンbis

頻繁に写真展を回るようになって三ヶ月、いろいろなテーマの写真展を見てきましたが、若い女性を被写体として選んだ作品はあまりお目にかかれません。

このことはこの写真展を見る前から、色々な写真展を見るたびに感じていました。

女性を撮した写真は雑誌、インターネットに氾濫していますが、意外に作品展としては成立しにくい題材なのではないかという気がしています。

「彼女のタイトル」という写真展は一人の女性に密着し、その私生活を含めてポートレートを撮り続けたというある意味『労作』です。

携帯電話にも付属するほど普及している写真ですが、簡単に写真を撮ることができると言うこと以上に、写真を撮られる側が明らかに『被写体慣れ』してしまっているという事実も見逃せません。だから一人の女性のパーソナルヒストリーを写真によって描こうとすれば、一筋縄ではいかないだろうなぁと思います。

この作家が被写体として選んだ女性は『被写体慣れ』したプロフェッショナルのようで、彼女のヌード写真もあります。

彼女の火傷で水脹れした手のクローズアップの写真があったりして、現代に生きる一人の生の女性の実像がそこに描かれていると言われればそういう気がします。

同時にそんなこと全て込みの、写真家とモデルの共犯関係に基づくフィクションかもしれないという疑念も浮かんできます。傷つき悩むんだ女性の波乱の半生、いまどきのケータイ小説もどきのドラマを考えていたのでしょうか。

正直に感想を述べますと、私はこの写真を観た後、何かしらの徒労感に襲われました。

この私の徒労感は例えて言えば、街の灯やネオンサインにかき消されて本来の星が撮れなくなっている天体写真家が、街の灯りやネオンサインを撮り続けることにより、その遙か向こうの星を浮かび上がらそうと努力している写真家の徒労感に似ているかも知れません

もっとも私が徒労感を抱く対象はこの写真ではなく、実際の被写体に対してなのかもしれませんが。

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2008年12月 8日 (月)

第33回伊那信男賞受賞-平敷兼七写真展-山羊の肺 沖縄1968-2005年-ニコンプラザ新宿

題名が「山羊の肺」と知って、ポストモダン小説の題名のようだなと勝手に連想してしまった私ですが、そんなイメージとはおおよそかけ離れた写真展です。

確かに山羊の肺を写した写真があります。ちょっと見てそれが何なのかわからないグロテスクな形をしています。山羊を常食としてきた沖縄の人々にとって、その奇妙な形の臓器は、長い歴史の中であらゆる負の面を剥き出しにされてしまったひとつの象徴なのかもしれません。

沖縄を題材とした写真展は比較的多いと思います。沖縄の風土、歴史、自然、そしてそこに住む人たちの表情など、写真家にとっては極めて魅力的な題材です。ただ沖縄をテーマにした中でも今回の作品展は出色と言っていいかもしれません。ここに写されたものの重さにおいてです。

衝撃を受けた写真があります。大きな穴にたくさんの人骨が放り込まれた穴の写真です。写真の題名は『海洋博のために合同墓地を移動させられる』です。よくよく見回すと墓にまつわる写真が他にもあります。『石油基地建設のためにこわされた墓の内部 石棺と鍾乳石の長さで歴史がわかる』、そして『墓の移動』と題された写真。

たくさんの墓を作らなければならなかった悲劇、そして誰かの都合によって絶えず移動させなければならない悲劇。しかもそれは戦争だけではないということ。語り尽くすことができそうもない、胸をかきむしられるような歴史の重みを感じます。

作者は1948年、沖縄生まれの沖縄育ちです。沖縄に腰を据えて40年もの間、写真を撮り続けてきました。決して広くない会場で、びっしり二段に展示された写真は、大まかにわけて三つ、すなわち本土復帰前後の世相を写した写真群、沖縄の人たちを写した写真群『渚の人々』、それから「職業婦人」と呼ばれた娼婦たちを写した写真群『「職業婦人」たち』に大別されます。

すべてモノクロ写真で撮られています。モノクロという成熟した技法で写真を撮り続けることにより、40年という年月を通じて揺るぎない視座を確保しています。これは決して生半可にできるものではなく、驚くべきことです。

被写体となる世界は時を刻んでいきますが、同時に撮影する主体の方も40年の時代を経て変わっていくはずです。ところがこの作家は撮り手としてはまったく揺らぎのない視線のもとで写真が撮り続けています。この驚異的な持続力、それこそ写真という表現媒体が歴史を語ろうとした場合必要なる一つの与件、すなわち作品の力だと思います。

写真の説明をするためには、私の拙い描写よりこの写真につけられた題名を書き下した方が早いかも知れません。題名は時に長文になります。一例を挙げると『双子を生み一人は家族にとられもう一人をとられまいと逃げ回っている女性 那覇 1976』(母親というよりはあまりに幼い女性が子供抱えている姿が切ないです) 『ゴルフ場近くに三角小屋をつくって住み夜になると池に落ちたゴルフボールをひろい、また池のカエルを食べにくるハブをとらえて売り生計を立てている 具志頭 1988』、『泊まり客の場合客が寝ている間に我が子が学校に行く支度をする それからまた客の側にそっと寝る 泉町 1970』、『好きな男が女の所から出てくるのを朝まで待っている女性 南大東  1970』

『渚の人々』に見られるように底辺の人たちに対する作者の暖かいまなざしを感じる一方で、『「職業婦人」たち』では彼女たちの裸体の写真もあったりして、冷徹な観察者としての視点も感じさせます。決して単眼的ではない社会を見つめる眼の確かさがあります。

現代の写真というのは、テクノロジーの発達を経て、そのテクノロジーを自家薬籠の物とすることにより新しい表現を得てきましたが、その結果到達した地点はいったい何だろうという状況に来ているような気がします。

多くの写真展の会場に飾られる作品は、現実を写しているようであって現実でない、むしろその写真家の恣意的な映像表現だと割り切ってしまえばそれまでです。その一方で写真が犯してきた詐取的な行為は、氾濫するインターネットや雑誌の中でおそらく頻繁に行われているはずで、写真を見る側にそういう疑念を抱かせるほど取り返しのつかないところまで来ていると思います。

この作家はひたすら社会を撮り続けたことによる歴史の重みと、被写体である沖縄の歴史が重なりあったことによって、写真が犯してきた行為から免責されているのです。

しかしながらこの作家が獲得したものは今後引き継がれていくのでしょうか。ヒストリカルなアーカイブとして本来存在すべきであった写真という描写の力強さというのは写真という表現媒体の中に残っているのだろうか? ひょっとしてこの作家の成し遂げたことは一つの奇跡なのではないか? そんな疑問が浮かんできたのも事実です。

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2008年12月 7日 (日)

井村和人写真展-vanishing_view 2008-エプソンイメージングギャラリーエプサイト ギャラリー2

私は写真展の頻繁に回るようになってたかだか三ヶ月。訪れる写真展の作家について前もって知識があることはほとんどありません。そこにある写真と見つめ、その写真家が企んだものを引っぺがそうといつも苦闘しています。

何かいい写真展がないかと、写真雑誌やインターネットで探したりしますが、解説はなるべく見ないように、言わば徒手空拳で会場に訪れることにしています。それが私の写真の見方と偉そうなことは言えません。なにしろそれ以外に私に方法はないのですから。

だから会場の中で、作者自身の挨拶文であったり、写真のキャプションであったり、そのような情報が一つの頼りとなります。語ることに積極的な作家もいますし、何も語らない作家もいます。

今回訪れたこの作品展は、作者自身の経歴も、挨拶文も、写真のキャプションもありません。素っ気ないと言えば素っ気ないですが、そこにある写真から全てを見なければなりません。見る側の自由に任せられるということでしょう。だから私自身大胆な解釈をしても容認されると思います。

撮影場所は都心近郊の住宅地です。比較的最近に開発された感じのマンションや一戸建てがあり、それを囲繞するように畑や山林が残っている、そんな風景を撮ったものです。

ハイキーなトーンでマット調のプリント用紙にプリントアウトされた風景は、明るい太陽の下の写真がほとんどで、白日夢というか、軽い非現実感が漂っています。この風景を被写界深度の極めて浅いレンズで撮影してます。ピントの合った所だけが周りの風景から不自然に浮かび上がっていて、書き割りの舞台装置のような感じがします。

この作家は舞台となった新興住宅地を”うろつき”ます。その視点は明らかその町にとってアウトサイダー、そして残された自然の中からの視点です。

明らかにこれら写真は一つの流れがあるように思えます。会場のどちら側から見るのかによってその流れのストーリーは変わります。最初に林の中から出てきて、住宅地の中をさまよい、最後にコンビニエンスストアにたどり着くような流れ、あるいはその逆でコンビニエンスストアに立ち寄った人間が、さまよい歩いたあげく、林の中に消えていくという流れ。

視点の主は恐らく野良猫や野良犬かもしれませんし、近隣にたむろするホームレスかも知れません。林の中に潜んでいた視点の主がコンビニエンスストアに行くストーリーか、あるいはコンビニエンスストアに立ち寄った視点の主が、林の中に消えていくストーリーか。

題名はvanishing_view 2008ということ考えても、明るい太陽の下、生活に疲れ果て住む家も失った人間が、最後の金をコンビニエンスストアで使い果たし、森の中に消えていくということでしょうか。

そんな不穏さを感じさせる写真展です。

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2008年12月 2日 (火)

永沼敦子写真展-虹の上の森-新宿ニコンサロン

日曜日の午前中ことです。私の父親が、買ったばかりのプリンターが初期不良だとのことで、その交換のために町田のヨドバシカメラまで車を出しました。店員と父親の延々とかみ合わない話をただ聞いているのにも焦れて、缶コーヒーでも飲みながら少しの間店の周りを歩いてみようと思いました。かつてこの一角は男一人では立ち寄れないほどのギラギラした歓楽街だったのですが、林立する巨大マンションに押し潰されるように、この数年でそんな店は姿を消してしまいました。

ヨドバシカメラの店の脇を川が流れています。今までただのどぶ川と気にもとめていなかったのですが、EOSやらNIKONやらの一眼レフに長尺の望遠レンズをつけた男の集団が行ったり来たりしている姿に気がつきました。彼らは川にいる鳥たちに狙いをつけています。

実を言うとこの写真家の写真を見て、一体何を書いたらいいのか迷っていたのですが、望遠カメラを持った彼らを見て、なるほどこの女性写真家はなかなかやるもんだわい、とふと合点がいったような気がしたのです。

「虹の上の森」という題名はちょっと不思議な感じがします。虹っていったい何を意味するのか分かりません。この作家は山に行きます。そして山へ行ってスナップ写真を撮りました、と言う写真が並べられています。

その写真の撮り方というのはちょっと古い言葉ですが、敢えて使うとお転婆という言葉が浮かんでしまうような撮り方です。立ったり座ったり、うつぶせになったり、仰向けになったり、のぞき込もうと身を乗り出したり、まぁ落ち着きがありません。せっかく山に行ったのだからと思うのですが、彼女が選んだ被写体というのはそこに訪れる登山者の背中であったり、靴下であったり、もうちょっときれいなきれいな風景が目の前に広がっているでしょう、と余計なお世話を言いたくなります。

例えばワンルームマンションのベランダからの夕焼け雲であったり、上手に塗れたベディキュアであったり、友人と一緒に行ったフレンチだったり、そんな身の回りの風景を撮り続けることにより作り上げた写真世界を、その延長線上でアウトドアを題材としましたという感じがします。決して私はけなしているつもりはありません。極めて私的な風景が完結した仲間内だけに意味があるといった閉鎖性ではなく、グローバル性を持つ表現ができるんだという手応えを持った作家だと思います。

確かに彼女が出かけていった場所というのは、彼女の遙か先輩達が築き上げてきたもう一つの写真世界の牙城であるわけです。高級なプロ用機材をそろえ、山に籠もり、春夏秋冬の全て変化する景色を撮り続ける求道者のような写真家たち。実を言うと私もそんな人たちに憧れを抱いていたりするわけですが、言わば”ネイチャーフォト道”のような厚い壁があるような気もして、素人が簡単に首をつっこめるような世界ではないように思えるのです。

虹と名付けられたのはそんな”ネイチャーフォト道”の対極にいる彼女の写真世界です。その彼女が森という彼らの潜む世界の住人に他流試合を挑んだ、その心意気を感じます。

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2008年12月 1日 (月)

長谷川治胤写真展-FOTO PREMIO 「clear」-コニカミノルタプラザA

写真はそこに留まっている静かな光しか正確に写し取ることはできません。

動きのある被写体は、高感度のフィルムを用い、露光時間を限りなく短くすることにより、擬似的に動きを止めなければなりません。極端に被写体の動きが速すぎる場合はフィルムから消え去ってしまいます。

この自然界において、完全に動きを止めているもの、あるいは常に動いているものからの影響を受けていないものはほとんどありません。風は吹き、陽は傾きます。厳密に言えば写真というものは現実を写しているのかといえば、必ずともそうは言い切れないという疑問が沸いてきます。

我々は生まれた時から写真を見てきているわけですし、それを知らず知らずのうちに現実のものであると受け入れてきました。我々の記憶の中で映像として残っているもの、それは現実を通してなのか、それとも写真というイメージを通じてなのか、極めて曖昧になっています。テクノロジーの進化の影で、その違い、ズレはほとんど意識されなくなっています。ズレがあったところで深刻な社会問題を引き起こすなんてことはほとんどないでしょう。

この若い写真家は海辺に腰を据え、たっぷりと露光時間を取って静かな海の風景をモノクロで撮りました。

記憶の中で想起されるイメージの由来、現実かそれとも写真か、その違い、ズレに対してこの作家は鋭敏な嗅覚を持っているように思います。そして今まであったようで実はなかったと思われる新しい映像を作り出しました。

恐らくクラシカルな撮影法にも関わらず、フィルムをスキャニングし、デジタル的な処理を経てプリントアウトした技法を駆使したからでしょうか。

繰り返しになりますが、写真は動くものと動かないものを峻別します。浜にぽつんと打たれた杭は、何一つ留まることはない世界の中でぽつんと孤立しているような心象風景に結びつけられます。

また長い露光の間に幾重にも押し寄せる波は、乳白色に濁る皮膜のように見え、この世界を覆い尽くす澱のような錯覚を与えます。

私はこれらの写真を見ながら、昔のSF映画のシーンを思い出していました。例えば核戦争の果て、生き残った潜水艦から潜望鏡で浜を覗くシーンが印象的な『渚にて』。あるいは(モノクロ映画ではありませんが)「猿の惑星」の浜辺のラストシーン(リメイク版ではなく、チャールトン・ヘストン主演版)。

写真というものが発明された当時のプリミティブな撮影法で再構成するという、この作家の試みから浮かびあがってくるのは奇妙な終末感です。それは一体何故なのでしょうか。この作家の感性のなせるわざなのか、それとも写真を撮られると一緒に魂まで抜かれてしまうというったような、昔々の人々が写真に対して直感した魔力なのでしょうか。

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