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2009年1月31日 (土)

高塚陽一写真展-囲人-エプソンイメージングギャラリーエプサイト ギャラリー2

JR飯田橋駅のホームを撮った写真があります。道路を跨いでいる高架のホームを遠景から撮った写真ですが、なぜかそのホームに一人ぽつんといる男に視線が行きます。なぜその男に視線が行くか、よく見るとその男がいる周辺だけ、淡いトーンではありますがカラーになっていて、その男から遠ざかるにつれてその色を失っていくように処理されていることがわかります。つまり白昼の写真ではありますが、そこにスポットライトが当たるようにして視線が集中するように演出されているのです。

その反対の写真もあります。場所は渋谷109の交差点。建物の壁面には大きくウインドウズ・ビスタの広告。手前には初老の苦虫を噛み潰したような男の顔が映っています。カラーで写っているのはビスタのロゴ。初老の男はほとんどモノクロです。

ギャラリーの性格上少なくとも出力はデジタルでなければならないのでしょう。そして会場の挨拶文によるとそのデジタルの良さを引き出そうとしたと述べています。実際デジタルの威力をさりげなくではありますが、十二分に引き出した写真です。

「囲人」(作者自身の造語)というタイトル通り、何かに囲われてぽつんと孤立した「個」を被写体としています。その一人一人はうなだれていたり、うつむいていたり、重い荷を背負っているかごとく苦しげであったり、険しい表情であったり、茫然自失の表情を浮かべていたりします。

遠景の、たとえば歩道橋の上から見下ろしているような写真が多いことに気がつかされます。そこに写っているのは一人か二人、彼らは歩道に敷き詰められたタイルの模様や横断歩道の白い線に仕切られていたり、誘導されています。人や車が多く往来する場所と思われますが、撮影された時間はがらんとしていて、それらの白い線は意味をなしていないように思えます。そして人々はそれに逆らうか従うかの選択に迫られていて、戸惑っているようにみえます。過剰に何かを強いている社会が「個」を孤立させている構図です。

例えばとある広場を撮った写真があります。俯瞰の視点で。右上に写っているのは小さな女の子、左下に写っているのはサラリーマン風の男。広場はタイルが敷き詰められていて、彼ら以外には誰もいません。二人を隔てるのはタイルの文様で白い線のように見えます。つまり小さな女の子のイメージである彼岸とサラリーマンのいる此岸を決して越えられないように隔てているように思えます。

不思議な静謐感を感じさせます。デジタル写真特有の抜けた明るさがあり、それを抑制するかのように淡い色使いで処理されています。

この作家の経歴を拝見しますと、写真家のほかに牧師さんをやられているとのこと。なるほどと納得しました。

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2009年1月26日 (月)

高梨豊写真展-光のフィールドノート-東京国立近代美術館

高梨豊の回顧展を東京国立近代美術館まで行ってきました。金曜日に限り開館時間が夜の八時まで延長されていて、私のような勤め人にはありがたい限りです。夜の美術館というのは静かで気持ちがいいものです。作品を観たのちの高揚感をそのまま、皇居をランニングする人たちをすり抜けながら、光あふれる丸の内のオフィスビルの中に戻っていくというのは何か遠い旅を終えたような疲労感がわき起こってくるようです。

氏の膨大な仕事の中で今回展示されているのは、日本の風景写真、特に東京を中心とした風景写真です。氏が写真の仕事を始めた1960年代から現在まで、日本の、東京の風景がどのように代わり、そして氏が何を視点として写真を撮り続けたかを俯瞰できます。

作品の多くが、撮影された場所、時間を題名としています。40年間という長い歴史の中で、方法論という意味で新しい地平が切り拓かれ、写真を撮ることがある意味幸せだった時代から、デジタル化の波を被り、その手法が多様化する時代まで、氏はその時代時代の柔らかな視点で、手法も大きく変えながら撮り続けています。

それはライカのコンパクトカメラであったり、6×7の大型カメラであったり、モノクロであったり、カラーであったり、銀塩写真であったりインクジェットの出力だったりするわけです。

私自身同時代を過ごし、被写体となった風景に人生をある程度重ね会わせることができます。例えば『新宿区伊勢丹 1965』という写真があります。玩具売場のスナップショットであり、家を模した白い箱の中に値札をぶらさげたバービー人形があり、その家の窓から覗いている少年はたぶん私である可能性はゼロではありません。

または『千代田区地下鉄二重橋駅 1983』という写真。地下街を制服を着て歩いている一団の若い男達。一様に不安そうな表情を浮かべているのは私と同年代の新入社員であります。

その一方でどうも合点のいかない写真もあります。『中央区京橋テアトル東京 1978』と名付けられた写真は題名通りテアトル東京の風景を写した写真です。スクリーンに映されている映画は絶対に「2001年宇宙の旅」という映画に違いなく、実際私は父親に連れられてこの映画を観に行ったのですが、私の記憶と時期が合いません。そもそも1978年までテアトル東京はあったのか? 私の記憶の何かが間違っている(スクリーンに映っている映画は違う映画かも知れない)ことは確かですが、この作品展の写真を見続けているとちょっとした記憶のズレ、迷宮に迷い込んだ感じ、記憶のヴァーティゴといったらいいのでしょうか、そんな感覚にとらわれます。

例えば1980年代に撮られたという新宿ゴールデン街にある飲み屋の内部を撮り続けた写真があります。それは1960年代といってもいいし、2000年代といっても存在可能であり、観ているものに時間的な感覚を失わせます。同様にさらに80年代に撮られた『都市の貌』、90年代に撮られた『地名論』など、それは時代に流されそこなった風景です。

もの凄い勢いで都市の風景は変わります。あっというまに昔の町並みは更地にされ、新たに画一的な商業ビルが建てられます。一度建てられるとその昔何があったのか、すぐに忘れてしまい、思い出すことも難しくなります。我々はその程度の記憶しか持ち得ていないことに気がつかされます。

多くの作品の中で異彩を放っているのは、『都市へ』という作品でしょう。1960年代に撮られた写真は、当時の政治的な風潮があり、この作家も影響を免れることはできません。端正な写真が多い中で手法がこの作品だけ際だっています。荒れた粒子のモノクロ写真は火力発電所であったり、造成地であったり、高速道路の工事現場であったりします。その全てにおいて水平線ですら定まらず傾いているこれらの写真は、周辺に荒涼たる風景を拡大再生産させることでしか都市は成立しないんだというこの作家の明確な主張があります。

政治的なユーフォリアの元に作られた作品というのは、その熱狂が過ぎ去り、あれはいったい何だったのかということになってしまえば、単なるステレオタイプを作っただけということになりかねないとも思われます。しかしながらこれらの写真が時を経てもなお輝きを失っていません。それは氏が以降、現代に至るまで『風景』に対するアプローチ、それは色々な表現形態を変えていますが、普遍の姿勢を保ち持ち続けているゆえだと思います。

恐らくあの時代と現代で危機的な状況はまったく変わらないでしょう。何十年かの未来、例えば六本木ヒルズや、東京ミッドダウンが老朽化し、取り壊されるという事態になっても、文化的遺産としてそれを保存しようとすることはないと思います。話の本筋から逸れてしまいますが、戦後建てられたいろいろな建造物で歴史的遺産として残されていくものがどれくらいあるのだろうかと考えてしまいます。みんなの憧れ都心の高層マンションだって時が経てば単なるコンクリートの箱に過ぎず、文化的な意味が残るのでしょうか。たぶん東京タワー以外に残らないのではないかと思ってしまいます。そんな風に考えていくと東京の風景というのは絶望的なような気がしてきます。

けれどもそこは40年間街を撮り続けたこの作家のこと、単眼的な批判的視線で撮り続けているわけではありません。それらの商業ビルがたとえ惨めに朽ちてしまったとしても、それはそれで「撮り頃」の被写体になるかもしれませんから。

2000 年代に入って『囲市』という作品は移ろいゆく現代の状況を見事に表現しています。古い建造物が破壊され、新しいものが建てられるとき、防護壁という名目で建設現場を覆います。その殺風景な防護壁が景観に悪影響を与えると思ったのか、施工主はその防護壁にペイントを施します。そのペイントに私自身も何となく違和感を覚えていたのですが、その奇態な防護壁や、その防護壁を囲うことによって新たに生まれた建造物をインクジェットプリンター出力で写し出しています。都市の畸形としか言いようのない景観ですが、それもまた都会としかいいようがありません。

恐らく風景というものに関心を持ち(それを写真に撮るか撮らないかは別としても)、あるいは単純に街を歩くということを趣味としてる人たちにとっても、一つのオーセンティックな視線という意味で、心にとめておかなければならない写真です。

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2009年1月22日 (木)

茂手木秀行写真展-海に名前をつけるとき-コニカミノルタプラザ

好きな写真が何枚かあります。例えば一見すると暗い霧に覆われた写真です。何も写っていないのかとよく見ると、そこに船の灯りがぼんやりと写っています。その光は弱々しく、はかなげです。

あるいはうち捨てられた難破船の写真も好きです。これから海中に沈んでいくというよりは、白いスープのような海に浸食され、飲み込まれていくように思えます。

作者自身の案内文によると、全ての写真はポラロイドフィルムを使用しているそうです。減光フィルターを通じて光量を落とし、それを補うように長時間露出で撮影し、最新のデジタル技術を駆使して銀塩ペーパーにプリントアウトしたとのことです。ポラロイド写真というとトイカメラのようなチープな原色の写真を思い浮かべてしまいますが、モノクロで撮られたこれらの写真は、驚くほどの階調、ディティールを表現しています。

作品は乳剤を剥がした縁の部分も含めてそのままベタ焼きのようにプリントアウトしています。それは消えゆく古いフィルムへの惜別のしるしであるかのようです。私はこのポラロイドフィルムがすでに販売中止になっていることをこの会場で初めて知りました。ですからもうこのような写真は二度と撮れないわけで、作者自身すでに新しい作品をデジタルカメラで撮り始めているということが述べられています。

実を言うと、私はこの写真を見ているうちに、昨年同じこの会場で見た長谷川治胤の写真展「clear」を思い出さざるを得ませんでした。確かに両者には共通点があります。先に述べたとおり、一つめはレガシーな写真器材を使って長時間露光の撮影を行い、デジタル処理を通じてプリントアウトしたモノクロ写真ということです。二つめは被写体として海を選んだということです。

ただほぼ同様な手法で取っているにもかかわらず、プリントアウトされた作品はまったく違うと言ってもいいでしょう。

長谷川の写真はハイトーンで、海や空の微妙な階調など飛んでしまっても構わないという若者らしい割り切りがあり、その結果終末感の漂う近未来の世界を表現しました。今回の作品展において、茂手木は海や空のテクスチャーはある程度残しつつ、そのテクスチャーが織りなす幽玄な世界を表現しています。さらに言えば長谷川の写真は動きを止めた静的な写真であったのに対し、茂手木の写真は雲や風や陽の光の動きが写真の中に残されています。

写真展を回り始めて数ヶ月、振り返ってみると写真家があるいはギャラリーの主催者が何をテーマとして、そして何を被写体として選ぶのか、うっすらとではありますが傾向があるような気がしています。ほぼ同じ時期、違うギャラリーで極めて似ている素材、そして表現手法の写真展に出くわすことがあります。それは沖縄であったり、老人のポートレートであったりするわけです。単なる偶然とは言えない、写真家に表現させてしまう社会の大きな流れがあるのではないかと考えてしまいます。

つまりこの二人の作家が被写体としてなぜ海を選んだのか。その疑問が残ります。

おそらく写真というものが発明されてある程度の時間が経ち、数世代に渡って写真を元にした記憶というものが人間のイメージの中に刻み込まれているという中で、写真というものが当初持っていた強力なイメージというものについて、それを再構築しようとする試みが写真家の中にあるのではないかと私は考えてしまいます。だから彼らはレガシーな写真を好むわけです。

我々の海のイメージというものがあり、かつて写真で見た海のイメージがあるはずです。そのイメージのいわばベンチマークという形で生海、生命を育み、その姿をほとんど変えていないはずの海が選ばれたのでしょう。けれどもここにあるのは、微妙な諧調の表現において、あるいはその大胆な省略において、そのどちらにも属さない海のイメージの提示です。そしてそれが作品が成立する基盤となっているのです。

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2009年1月11日 (日)

森山大道写真展-DIGITAL 銀座-RING CUBE

銀座四丁目交差点を見下ろす絶好の位置にあるギャラリーですが、いかんせん平面的な写真を飾るのは円形のフロアーゆえに、写真をディスプレーするとなると色々難しさがあるようです。

今回の展示は湾曲した壁面に写真を直接貼り付けています。目を剥いた女性のモノクロ写真が一面並べられた中に何点か彼のスナップ写真が飾られています。

私はそれらの写真より、会場にぶら下がっていた液晶ディスプレーにスライドショー形式に流れる写真に釘付けとなっていました。会場でプリントアウトされた作品より、はるかに沢山の写真が映し出されていたからです。

その映像は今流行りのハイビジョンですらなく、鮮明さという意味ではデジタルテレビよりはるかに劣っています。それでも次々に流れる映像を見つめていると、彼が撮ったデジタルカメラの液晶画面を直接のぞき込んでいるようなゾクゾクする臨場感を感じます。

今回の写真展、森山が被写体として選んだのは銀座です。個人的には私の勤める会社が銀座の外れにあるところから、これらの写真ほほとんどはどこかで見たような風景です。

おそらく写真が撮られたのもつい最近、年末にこのギャラリーで開かれた彼の写真展を撮ったとおぼしき写真もあり、銀座四丁目を中心として、昭和通りから有楽町のガードしたあたりまでの範囲のスナップ写真です。

作者自身、今まで新宿をホームグラウンドとして、銀塩カメラで撮り続けてきたけれど、銀座という街を撮るにあたってはデジタルカメラこそ相応しいといった説明がなされています。

確かに写真を見ていて感じるのは、銀座という街は蒸留された感じの街なんだなということです。路地裏に回ってみても、この街を貫いているはずの欲望の、その残渣すら積もっていないようで、ある意味では不思議な清潔感を漂わせた街です。

おそらく新宿に代表される街、その街を撮ろうした場合に不可避に写り込んでくる澱のようなものがあるはずす。そしてその澱を積極的に写し込もうとした場合、それを露光し、現像し、定着させる、それらの工程の途中で、どちらかという毒性の高い薬剤をくぐらせる必要があるような気がします。

ところが銀座というのはそんな解毒処理というか、秘儀的、呪術的な薬剤処理をしなくてもいい、つまりデジタル処理のままで表現できる街のようであることは確かです。

だから私が彼と同じリコーのデジタルカメラを買って、彼と同じように銀座の街を歩き回ったら彼のような写真が撮れるのか? 無理とはわかっててもその誘惑に勝てそうにない気がします。

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