高梨豊の回顧展を東京国立近代美術館まで行ってきました。金曜日に限り開館時間が夜の八時まで延長されていて、私のような勤め人にはありがたい限りです。夜の美術館というのは静かで気持ちがいいものです。作品を観たのちの高揚感をそのまま、皇居をランニングする人たちをすり抜けながら、光あふれる丸の内のオフィスビルの中に戻っていくというのは何か遠い旅を終えたような疲労感がわき起こってくるようです。
氏の膨大な仕事の中で今回展示されているのは、日本の風景写真、特に東京を中心とした風景写真です。氏が写真の仕事を始めた1960年代から現在まで、日本の、東京の風景がどのように代わり、そして氏が何を視点として写真を撮り続けたかを俯瞰できます。
作品の多くが、撮影された場所、時間を題名としています。40年間という長い歴史の中で、方法論という意味で新しい地平が切り拓かれ、写真を撮ることがある意味幸せだった時代から、デジタル化の波を被り、その手法が多様化する時代まで、氏はその時代時代の柔らかな視点で、手法も大きく変えながら撮り続けています。
それはライカのコンパクトカメラであったり、6×7の大型カメラであったり、モノクロであったり、カラーであったり、銀塩写真であったりインクジェットの出力だったりするわけです。
私自身同時代を過ごし、被写体となった風景に人生をある程度重ね会わせることができます。例えば『新宿区伊勢丹 1965』という写真があります。玩具売場のスナップショットであり、家を模した白い箱の中に値札をぶらさげたバービー人形があり、その家の窓から覗いている少年はたぶん私である可能性はゼロではありません。
または『千代田区地下鉄二重橋駅 1983』という写真。地下街を制服を着て歩いている一団の若い男達。一様に不安そうな表情を浮かべているのは私と同年代の新入社員であります。
その一方でどうも合点のいかない写真もあります。『中央区京橋テアトル東京 1978』と名付けられた写真は題名通りテアトル東京の風景を写した写真です。スクリーンに映されている映画は絶対に「2001年宇宙の旅」という映画に違いなく、実際私は父親に連れられてこの映画を観に行ったのですが、私の記憶と時期が合いません。そもそも1978年までテアトル東京はあったのか? 私の記憶の何かが間違っている(スクリーンに映っている映画は違う映画かも知れない)ことは確かですが、この作品展の写真を見続けているとちょっとした記憶のズレ、迷宮に迷い込んだ感じ、記憶のヴァーティゴといったらいいのでしょうか、そんな感覚にとらわれます。
例えば1980年代に撮られたという新宿ゴールデン街にある飲み屋の内部を撮り続けた写真があります。それは1960年代といってもいいし、2000年代といっても存在可能であり、観ているものに時間的な感覚を失わせます。同様にさらに80年代に撮られた『都市の貌』、90年代に撮られた『地名論』など、それは時代に流されそこなった風景です。
もの凄い勢いで都市の風景は変わります。あっというまに昔の町並みは更地にされ、新たに画一的な商業ビルが建てられます。一度建てられるとその昔何があったのか、すぐに忘れてしまい、思い出すことも難しくなります。我々はその程度の記憶しか持ち得ていないことに気がつかされます。
多くの作品の中で異彩を放っているのは、『都市へ』という作品でしょう。1960年代に撮られた写真は、当時の政治的な風潮があり、この作家も影響を免れることはできません。端正な写真が多い中で手法がこの作品だけ際だっています。荒れた粒子のモノクロ写真は火力発電所であったり、造成地であったり、高速道路の工事現場であったりします。その全てにおいて水平線ですら定まらず傾いているこれらの写真は、周辺に荒涼たる風景を拡大再生産させることでしか都市は成立しないんだというこの作家の明確な主張があります。
政治的なユーフォリアの元に作られた作品というのは、その熱狂が過ぎ去り、あれはいったい何だったのかということになってしまえば、単なるステレオタイプを作っただけということになりかねないとも思われます。しかしながらこれらの写真が時を経てもなお輝きを失っていません。それは氏が以降、現代に至るまで『風景』に対するアプローチ、それは色々な表現形態を変えていますが、普遍の姿勢を保ち持ち続けているゆえだと思います。
恐らくあの時代と現代で危機的な状況はまったく変わらないでしょう。何十年かの未来、例えば六本木ヒルズや、東京ミッドダウンが老朽化し、取り壊されるという事態になっても、文化的遺産としてそれを保存しようとすることはないと思います。話の本筋から逸れてしまいますが、戦後建てられたいろいろな建造物で歴史的遺産として残されていくものがどれくらいあるのだろうかと考えてしまいます。みんなの憧れ都心の高層マンションだって時が経てば単なるコンクリートの箱に過ぎず、文化的な意味が残るのでしょうか。たぶん東京タワー以外に残らないのではないかと思ってしまいます。そんな風に考えていくと東京の風景というのは絶望的なような気がしてきます。
けれどもそこは40年間街を撮り続けたこの作家のこと、単眼的な批判的視線で撮り続けているわけではありません。それらの商業ビルがたとえ惨めに朽ちてしまったとしても、それはそれで「撮り頃」の被写体になるかもしれませんから。
2000 年代に入って『囲市』という作品は移ろいゆく現代の状況を見事に表現しています。古い建造物が破壊され、新しいものが建てられるとき、防護壁という名目で建設現場を覆います。その殺風景な防護壁が景観に悪影響を与えると思ったのか、施工主はその防護壁にペイントを施します。そのペイントに私自身も何となく違和感を覚えていたのですが、その奇態な防護壁や、その防護壁を囲うことによって新たに生まれた建造物をインクジェットプリンター出力で写し出しています。都市の畸形としか言いようのない景観ですが、それもまた都会としかいいようがありません。
恐らく風景というものに関心を持ち(それを写真に撮るか撮らないかは別としても)、あるいは単純に街を歩くということを趣味としてる人たちにとっても、一つのオーセンティックな視線という意味で、心にとめておかなければならない写真です。
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