濱浦しゅう作品展-霞-kasumi-コニカミノルタギャラリーA
何の予備知識もなくふらりと訪れてみました。会場は作者の簡単な略歴しかなく、入り口のカウンター付近にいた女性(それも知的な感じの美人)を拝見して、女性の作家なのだろうというぐらいのことしかわかりませんでした。
印象に残る作品があります。浴衣姿の女性の写真です。ちょうどその女性の髪越しに打ち上げ花火が光っています。まるでそれは女性のかんざしのようです。または犬の写真。でもよく見るとその犬の鼻のあたりにひび割れがあります。どうやらそれはオオカミの剥製らしいことがわかります。猫の写真もあります。コンクリートの壁に丸まって日向ぼっこをしています。壁際には何かの立て看板があり、その影がコンクリートの壁まで伸びていて、その形は十字架です。あるいは窓からの風景。ガラスに結露した水滴越しにはアパートのような建物がぼんやりと移っています。その窓ガラスを汚すような黒いしみ。水滴というよりはガラスから浮き出た水泡のようなこのしみはいったい何なのか? よく見てもわかりません。
これらの幻想的な写真は、全て銀塩、モノクロの写真です。粒子の粗いアンダー気味の写真は今の風景を撮っているようで、かつてあった風景、かつて見た風景を、時間を遡りながら撮っているように思えます。
「霞」という題名通り、霞に澱み始めた在りし日のイメージ、心象風景を何とか捕らえようとしていることがわかります。それを再生するために、例えば多重露光のような安易な技巧を弄しているように見えます。しかしながらその多重露光と思わせる写真について言えば、窓ガラス越しに撮った写真であり、反射光がガラスに映り込んだのだということわかります。つまり安易なテクニックは排し、写実という意味で一番ベーシックなフォーマットの撮影法に従っています。
フィルムに露光し、印画紙に焼き付けるという行為というのは、結局のところ現実に対する明喩にすぎないのかも知れません。山を撮れば、あたかも山のように写るわけですし、海を撮れば海のように撮れるわけです。さらにこの作者は言わば下絵とも言うべき明喩的な写実に対して、暗喩としての心象風景のイメージを重層的に重ね合わせていきます。下絵をなるべく写実的に描かなければ、上塗りの部分も生きてこないに違いないでしょう。
つまりこの作家はイメージの重ね塗りというべき作為に極めて意識的であるといえます。職人のような作業の丁寧さ、律儀さ、そして確実さにより心象風景としてイメージを浮かび上がらせようと試みます。そうしてその翳りのある記憶が内面的な美しさを保ちつつ、ゼラチンペーパーの上に蘇らすことに成功しました。
| 固定リンク
« 織田健太郎作品展-confrontations FOTO PREMIO-コニカミノルタプラザ ギャラリーB | トップページ | 高田玲写真展-Black Post-コニカミノルタプラザギャラリーC »


コメント
はじめまして。
通りすがりですが偶然に濱浦さんの批評を見つけてしまいコメントしました。濱浦さんから直接案内を頂いておりましたが機会が持てず伺えなかったのです。こちらの批評(解説?)が大変参考になりました。
私も写真を志しておりいつかこちらでも取り上げてもらいたいなと思いました。どうも有難うございました。
投稿: K | 2009年2月22日 (日) 23時11分