野村佐紀子写真展-もうひとつの黒闇展-BLDギャラリー
ギャラリーを回るようになって半年足らず、そこで開催される写真展のテーマは多彩ですが、あまり正面から取り上げられない、欠けているものが一つあるなぁと思っていました。それはエロチシズムというテーマだと思います。
まさかとは思いますが、ギャラリー側に倫理規制があるのでしょうか。考えられるとしたらエロチシズムが写真のテーマとなり得ない時代なのかもしれません。私が集中的に写真を見出してそれほど日が経っているわけでもないし、全てを見尽くしているわけではないので、はっきりとしたことは言えませんが。
彼女の「夜間飛行」などの写真集をみるにつけ、是非とも実物を見たいと思うようになっていました。そのテーマに真っ向勝負しているような気がしたからです。
作品展の題名は「もうひとつの黒闇」です。私の電子辞書(広辞苑第五版)で言葉を引いても「黒闇」という単語は出てきません。作者の造語なのでしょうか、ちょっと引っかかりのある題名です。
展示されている作品は全てモノクロ写真です。白眉と言えるのは会場の奥の壁面に並べられた写真でしょう。ソラリゼーションといえばいいのでしょうか、遠目から見ると何も写っていない黒い印画紙が飾られているだけのように見えます。だから近づいて目をこらさなければなりません。闇の中から被写体の輪郭が仄かに浮かび上がってきます。正直言ってあまり見やすい写真ではありません。裸体の写真があります。裸体の主は男なのか、女なのか、キスをしているのは男同士なのか、手探りしても届かないもどかしさがあります。
彼女の写真を語るのに象徴的な一枚があります。ビルの谷間からの写真です。明け方なのか夕暮れなのか、何羽かの鳥が明るい空に向かって飛び立っています。彼女の視点の位置は暗闇です。その鳥はカラスなのでしょうか、闇を抱えたまま明るい空を闇を覆い尽くすために飛び立っているようです。
つまり寝室の若い男性や女性の裸体写真に始まり、風景写真、様々な写真の共通する視点が次第に明らかになっていきます。つまり撮影者自身が闇にいること、闇の視点からの撮影されたものであります。
現代、特に都会に暮らしていると闇というものを知る機会がほとんどありません。たいていの場合手の届くところにスイッチがあり、すぐに灯りを手に入れることができます。為す術もなく、ただうずくまって朝が来るまで待つという状況は余程の事故に遭遇した以外には考えられないのです。
では闇が当たり前だった時代に何を考えて朝まで過ごしたのか? それとも襲われることに怯えていたのか、あるいは獲物を得るために欲望をかき立てていたのか? 漆黒の闇の中で今はすっかり失ってしまった、剥き出しの獣性を抱えていたのでしょう。
おそらくエロチシズムを作品として取り上げようとしたら、被写体のみがそれを帯びているというだけでは成立しないように思えます。被写体として存在するエロチシズムに対して、形而上なのか、形而下なのか、撮影者がそれに対抗するもの、カウンターパートを持ち合わせていないと成立しえないのです。撮影者は晒された被写体と同じだけの「何か」を晒されなければならないのです。
エロチシズムというのが作品として成立しないというのが状況にあるとしたら、それは華やかに見えるフロントエンドのエロチシズムに対して、対抗すべきバックエンドとしての撮影者の「何か」が疲弊するか、荒廃しているか、あるいは手詰まりの情況に陥っているのではないかと思えてしまうのです。
彼女の作品が今の時代に輝きを持つのは、そのカウンターパートとしてのものをしっかりと抱えてているからにほかなりません。
黒闇。この作品のエロチシズムの根源があります。
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