神田川義和写真展-幻想画布-エプソンイメージングギャラリーエプサイト ギャラリー2
「廃墟萌え」なんて言葉があるかどうか知りませんが、私はかつて廃墟の写真を集めたサイトを覗きに行くのが大好きでした。今その廃墟に大きな変化が起こっているらしい、というのがこの写真展に行くととわかります。
撮影は2008年頃から行われていることです。そう言えばこの手のサイトを覗きにしばらく行っていないということに気がつきました。ちょっと目を離した隙に世の中はどんどん進んでいきます。
一昔前までは公園や橋の下、酷いときには民家の壁まで書き散らされていた落書きが減ったよな、と通勤電車の車窓から薄ぼんやりと考えたりしていました。割れ窓理論とか何か、ニューヨークの治安が劇的に回復し、落書きが減ったのに対応して、日本の悪ガキたちも落書きなんて今更ダサいと考え出したに違いないと勝手に理屈をつけてみたりしてました。
ところが日本の無名で絵心のある悪ガキ達は消えていませんでした。彼らは自らの作品を表現するために最高の舞台を見つけ出しました。その作品の舞台とはつまり、廃墟の剥き出しになった壁面です。
この手の廃墟は朽ち果てるまでに放っておかれるだろうし、わざわざ金をかけて消すこともないでしょう。昨今の景気状況を考えても、廃墟は増えることは間違いないでしょう。今後彼らのキャンバスに困ることはないと思います。つまりいいところに目をつけたということになります。
ただ元々落書きというのは人の目のないところで書き続けるものですが、描かれたものは人の目につくことが前提になります。ところがこんな廃墟に訪れる人間と言えば、肝試しか、シンナー吸う高校生ぐらいしかいないでしょう。では何のための表現行為か? という疑問が湧いてきます。
誤解を恐れずに言い切ってしまえば、その落書きに、ある種宗教画のような神々しさを感じとってしまうのです。
この不景気な世の中に満ちている強欲さ、非情さ、愚かしさ、恨み、憎しみなどが、廃墟という場所で悪霊に姿を変えて棲み着いているのだとすれば、そこに描かれる落書きは、それらの悪霊を諫めるための壁画のようなもの、つまり悪魔封じなのではないか、と思えてくるのです
恐らく廃墟を題材に写真を撮ろうとした場合、朽ちたものの中に決して写ることのない過去を見ようとするでしょう。転がっている薬罐ひとつだって歴史があるわけであるし、それを撮ることによって、廃墟に至った過去が浮かび上がってくるかもしれません。
この作家はそのようなアプローチは決して取りません。落書きを極めて実写的に、スプレー缶で描かれた絵の原色そのままを写し取ります。まるで国宝の絵画を撮るようにです。
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