宮崎 豊写真展展-A Landscape Outside The Window-新宿ニコンサロン
ピンホールカメラによる作品です。ピンホールカメラのマニアがいて、専門とする写真家がいることは話に聞いていましたし、専門のサイトがあることも知っていました。私自身写真そのものを見るのは生まれて初めてです。なるほど、独特な味わいのある写真だなと思いました。
この写真の特長を挙げると二点なのでしょうか。ピンホールゆえに絶対的光量不足は避けることができず、それを露光時間で補うわけです。そのために風にそよぐ草はぼけてしまいます。しかもレンズという光学的処理がないゆえに、緩やかなパン・フォーカスとも言える被写界深度があり、遠くの風景がきれいに映っていたりして、風景写真と言うには不自然な動きが表現されたりします。
またピンホールカメラは逆光に強いということも特長の一つと言ってもいいと思います。ただ太陽からの直射光がピンホールの周りで干渉が生じるのか、フレアというにはあまりにも大きな光の輪が写り込んでしまいますが。
総じて仕上がった写真はアンダー気味のシャープさに欠けた眠たい画調になります。
作品の舞台となるのは淀川の河川敷とのことです。河川敷と言っても、そこは湿原のようでもあり、雑木林のようです。増水すれば押し流されてしまうだけの場所にもかかわらず、なぜか鬱蒼と茂る林が河川敷の中にあるのは私の家の近所の川にもあります。誰が植えたわけでもなく、人の手を経ているようで経ていない、原生林というよりは、誰にも顧みられない、打ち捨てられた場所のように見えます。
作者は作品の全てに窓枠のような木枠を風景の両端に置いていて、それは自分の家の窓からの風景であるかのように写しています。作者自身の案内文によれば、淀川の近くに住んでいるそうです。
河川敷に残された自然について残しておきたいとも作者自身が書いていますが、私はこれらの写真を観ていて思い出してしまうのはまったく別のことでした。
例えば頭に浮かんだのは、昔読み飛ばした花村萬月の小説に出てくるような登場人物のことです。
例えば暴力衝動に駆られた人間が、それを成し遂げてしまった後に逃げ込んだ河川敷からの視線。自分が駆られている情念や欲望から逃れられないことにウンザリしながらも、それを止めることができない、全てが終わって残っているのは徒労感のみ、見えているようで何も見ていない、何か上の空で、思い返しても何も覚えていない、モノクロの夢のような視線。
だから画面上に演出された窓枠も鉄格子に思えてくるのです。そんな刃のような視線を写真から感じてしまうのはいくらなんでも穿ちすぎだろう、と自分ながら思ってしまうのですが。
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