河原雅夫写真展-Re-View-エプソンイメージングギャラリーエプサイトギャラリー2
例えば鋼管を撮った写真があります。撮影場所は鋼管を集積するヤードのようなところなのでしょうか。鋼管の向こう側にも、その向こう側にも幾重にも重なって鋼管が見えます。その単調な構図のためか遠近感が喪失していて、模式的に見れば、画面一杯にたくさんの黒い輪が広がっているように見えます。写真の題名の通り「kaleidoscope」のようです。
湾岸地域の風景をテーマとしたモノクロ写真です。写真には草一本写っておらず、その意味で言えば荒涼たる風景を題材としていると言えます。
港には様々な素材が集積されています。それは巨大な鋼管であったっり、レールであったり、コンテナに詰められたコークスであったり、タービンの羽根だったり、砂山だったりします。
作者の説明にある通り、強い陽射しの元撮られたという写真は、光と影のハイコントラストな写真に仕上がっています。それでいてざらざらとした粗い粒子ゆえなのか、打ちっ放しコンクリートの壁やH鋼の粗削りの断面やシュリンクフィルムの凸凹した表面など、様々な材質のテクスチャーが浮き上がってきます。まるで空も雲も、そこに写り込む全てが同化していて産業資材の一つに見えてくるようです。
港というのは産業を支えるための生産資材を通過させるための一時的な仮置きの場とも言えます。その場を支配するのはいかにそれを積み上げそれを崩すかの効率性だけです。無造作におかれているように見えていてもそれは合理性という近代文明の「神」に支配されているはずで、この産業資材によってやがて作られる巨大構築物の揺籃の姿のはずです。
大都市は天変地異のあらゆる自然に打ち勝ち、屈服させることにより成り立ちます。どんなにデザインされた景観の都市であったとしても、そこに美があるとしたらその外力に抗うための巧みに設計された機能美であるはすです。
だからその大都市を構成するマテリアルにも美が宿っても不思議ではありません。極めて無機的な資材を被写体としているに関わらず、美しさを帯びてくるのはこのためです。さらに言えば「建築」という余分な意志が介在しないぶん、無垢な美しさがそこに存在すると言えるでしょう。
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