林秀煥写真展-Picturesque-juna21新宿ニコンサロン
風景写真です。舞台となるのは郊外の住宅地であったり、駅前商店街の一角だったり、何気ない都会の風景を撮っています。
ただシャッターを切ると同時に激しくカメラを動かしているために風景は歪み、ブレています。そんな奇妙な風景写真です。
シャッターを押すという行為はかつては呪術的な意味を持っていたはずでした。瞬間に時間が切り取られ、そこから結像するものは現実であって現実ではない、という感覚は写真が発明されてからどんなにその表現の写実性が上がったとしても、人間の中に刷り込まれているように思えます。
写真家はその非現実性を意識的にあるいは無意識的に利用してきたように思えます。そのイメージを現実と偽った詐術的な行為が歴史の中でも半ば公然と行われていて、写真家がまったく無罪とも言い切れないはずです。
さらにテクノロジーが進歩してきて写真という呪術がデジタルという悪魔に飲み込まれてしまっている現在において、その記録媒体としても、芸術作品としてもその存在が危うくなってしまうのではないかという危機感もあるはずです。
カメラ付きの機能のない携帯電話を探すことが難しいぐらいのご時世ですから、沢山の映像が間単に得られ、かつデジタル処理を容易に行える現在、そこに映し出される映像に何の意味を持ちえるのか? そんな根源的な問題が写真家の中に湧いても不思議ではありません。
この作家の手法は明らかです。つまり精度を持ったはずのカメラから得られるその映像のその精度の否定です。
そのカメラの動かし方は色々で、単純に流れるようなブレ方もあれば、渦を巻いているようなブレ方もあります。何かが歪んだ形で残り、それ以外をブレさせるという手法は、たぶん職人的な技巧が要求させられるではないかと思ったりします。
ただ作品は単純にブレ方の美しさを狙ったというわけではありません。テクノロジーの完全無欠な完成としてのカメラから綻びを見つけ出し、そこに作品としての息吹を見いだそうという作者自身の果敢な取り組みにも思えるし、さらに言えば、そんなテクノロジーで得られてしまう映像など消し去ってしまえ、というある種の衝動を感じてしまうのです。
作者はソウル出身とのこと。偶然かもしれませんが、最近私は韓国系、中国系の作家を良く見ているような気がします。ある種の情念を何気なく写真の中に潜ませているといった手法に、彼らの中に共通点があるように思えたりします。
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