Jui PHOTO-EXHIBITION-CAOSMOS カオスモス-新宿ニコンサロン
モノクロプリントが美しい写真です。中国生まれで日本で活躍する女性作家の作品展です。都内某所のコスモス園で撮影したとのこと、アクリル板に焼き付けた写真と紙焼きの写真が半数づつ展示されています。コスモス園に訪れる人たちを見つめた写真と、枯れ行くコスモスを凝視する写真が半分づつあります。
コスモスという花は桜と比べてどうしても見劣りがしてしまうのは、散り際の見事さというのがなくて、同じ畑の中でも、無惨に萎れていく姿を晒してしまうからだと思います。どちらかというとついついそんな萎れた花についつい目が行ってしまったりします。
そんなコスモス畑を被写体として選んだ、この作家の視点が極めてユニークです。花畑に迷い込んでしまった小動物か、あるいは誰にも気がつかれないまま死を迎えつつある行き倒れた人か、どちらかです。明らかに花畑の中に半ば埋もれてそこから見上げた時に見える風景です。
モノクロ写真と言う「漂白」された世界においては、咲き誇っている花も、枯れた花もその違いが希薄になります。敢えていえば、その造形の複雑さ、奇妙さにおいて枯れた花の方が惹かれてしまうし、そこに集う人たちも、美しさに訪れたというより、グロテスクな見世物の見物人に見えなくもありません。
群生した花が一斉に花開くその一瞬は、生命の絶頂でありますが、同時に枯れていく運命を予感させるわけで、その生と死の循環の変わり目の祝祭の中での作者自身の視線は、どこか置き去りにされた感じ、虚ろさを感じさせます。
その虚ろさは、コスモス園に訪れる人たちのある種の無邪気さからでも、天に向かって花弁を広げていたその花と養分も尽きて茎を折るようにしてうなだれる花弁が織りなす幾何学模様の不思議さにも現れてきます。
季節と共に生と死を繰り返すその存在に比べて、「人間の個」という生物種は絶望的に非循環であるということ、朽ちて行くことに対して再生することは絶対にあり得ないという、当たり前でいて認めたくない残酷な事実、それがコスモス園に潜んでいます。
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