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2009年8月29日 (土)

金井紀光写真展-この町にて-コニカミノルタギャラリーA

静岡の街を1980年代から撮りためた写真展です。写真は全てモノクロで銀塩写真です。何か新しい商品を発売しようとするとき、テスト販売で選ばれるのが静岡ということも聞いたこともあります。新幹線で行き来するような類の(私のような)人には静岡というのは通り過ぎるだけのところであり、その印象というのも希薄なのかもしれません。たぶん日本のどこにでもある風景ということであれば、静岡というのはその平均的な風景であるということになります。

写真はほぼ二十年に渡るその街並、およびそこの人達の写真です。作者自身、あじわいがって好きだったという街角のパン屋が二代目になり、ビルに建て替え中であるとか、ホームレスの女性は昔色っぽい仕事をして、話かけると誘ってるとか、風俗店の下働きのおじさんだと思っていたら、実は札束かかえている人(社長さん?)だったとか、おでんやの名前は、開店した時生まれた子の名前と同じで、その娘も今は四十になったとか、登場人物のエピソードについてのキャプションが手書きで添えられています。

被写体となった人たちとの交流があり、等身大の身の回りの人々、風景を何十年にもわたり、モノクロ、銀塩写真という変わらぬ手法で撮り続けるというということ、それこそが写真というもののかけがいのない価値ではないかと思ったりします。

一枚の写真では何も伝わらないかもしれないけれど、年代を越えて並べられたときに生じてくる一つの重みがあります。ドッグ・イヤーなんて言葉がありましたが、二十年、三十年という時間は、劇的に変ったはずであり、今後もさらに激しい変化の嵐に放り込まれると言い立てられています。テレビや新聞や雑誌はいつでもそんな論調でしょう。

それを読む側もついついそれに乗せられて、そうかな、そんな風かなと思い込まされてしまっています。その変化についていけるかな、たぶんついていけないな、疲れるなというのが現代だと思います。

でもこのようにな何気ない街角写真のクロニクルを見れば、激動の時代にも変わらない何かがあるということをわからせてくれます。センセーショナルではないという意味で、語られなかったわけではないけれど、語るに零れてしまう、普通の街の、普通の人々の息使いを掬い取ってくれるこれらの写真は、何か観る者をほっとさせてくれます。

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