小林のりお写真展-アウト・オブ・アガルタ-新宿ニコンサロン
アガルタという言葉は私自身聞き覚えがあって、 一体何だっけと思って会場を訪れたのですが、 会場に小さく流れるミュートの効いたトランペット、 聞き間違えようもありません、 マイルス・デイビスです。 それで思い出しました。 アガルタというのはマイルス・テイビスのアルバムのタイトルで使われていた言葉です。
そのマイルス・テイビスが電子音楽を取り入れたように、 この作家もデジタル技術を取り入れたのでしょうか。 すべてデジタル撮影でアクリル板にプリントアウトされた作品に仕上げています。
被写体として選らばれたのは、 農地なのか、荒地なのか、 時代がもう少しよくなれば、 美しい場所に整備されなおすのか、 それともより荒廃していくのか、 雑然としながらもたくましく生きる住人の生活の場なのか、 朽ちるままな廃屋寸前でもなすすべのない人達の住処なのか、まったく判然としない、 ちょっと街中から離れれば普通に広がる風景です。
デジタルな表現というのは容赦がありません。 その表現に曖昧さというものはなく、 抜けるような色彩ゆえに一切の陰影を許さないように見えます。 その表現をつきつめた所にどんな表現が広がるのか、 その実験がここにあるように思えます。
打ち捨てられた傷だらけのダッチ・ワイフを写した写真があります。 量子化され電気信号に変換された光の中では、 妙に誇張された女性器の造形に、 意味を見い出しようがありません。
駅のベンチの写真を撮ったとしても、 色々な気持ちでそこに座った無数の人たちの生活があるはずで、 そのベンチの写真一枚で、そこに存在したという歴史というものが写り込んできても おかしくはないはずです。
しかしながら殺菌されたようなデジタルな光の中で写し出された世界は、 言い方が悪いかもしれませんが、そこに単に存在しただけだという、 実も蓋もない姿を晒してしまっています。
青く塗られたトタン板はあくまで青く、コカコーラの自動販売機はあくまで赤いという、 原色の映像世界は私たちの心象風景と屹立するでしょう。 それだけではありません。 私たちの記憶以上、さらに言ってしまえばその存在自体を 超えてしまうほどにデジタル技術はその表現世界を獲得してしまったように思えてしまいます。 そしてそれをどう捉えたらいいのか、 戸惑いを覚えてしまうのも正直な感想でもあります。
伝統的な四ビートを捨て、 電子楽器を多用したロックのリズムを取り入れたマイルス・デイビスのように、 そしてそれを新しい音楽だと聞き入っていた若いころの私のように、 デジタルな世界に身を委ねなければならないでしょう。
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