小野隆行写真展-青の肖像-新宿ニコンサロン
私自身繁華街を歩いていて、 すれ違ういわゆるホームレスの人達の「面構え」に思わず見惚れてしまうことがあります。
私のようなサラリーマンとは言えども板場一枚下は地獄、 半年先は彼らのような生活をしている可能性もゼロではないわけではないのですが、 私も彼らのような生活をすれば「面構え」になるのか、 また逆に彼らが普通の格好をしたら目立たなくなって、街を歩く普通の人達に埋もれてしまうのか、 何か相容れないものを感じていたのは事実です。
この作者もそこに注目したのでしょう。 街にいるホームレスたちのポートレートを撮り続けた写真展です。
会場には彼らの全身写真と、顔のクローズアップの写真が半分ずつ展示されていています。 迫力のあるのは後者のクローズアップでしょう。 ただ私のイメージするホームレスよりは登場する人たちはこざっぱりしていて、 本片手のインテリっぽい人もいあるし、 空き缶のつまったポリ袋と一緒に携帯電話持っている人もいます。
彼らの「面構え」は確かに現代社会が失ったある種の原初的なバイタリティー、 つまり生肉を貪り、木の実を齧って今日一日の命を繋ぐことが最大の目的だった 太古の昔の我々の「面構え」も感じさせます。
逆に言えば、現代社会と言うのは、 彼らのような原始的バイタリティーを 疎外し排除することによって成り立つというのではないか、 とすら思わせる説得力がこの写真にはあります。
私は若い世代の写真家が老人たちのポートレート写真を観て、 彼らが老人達を撮るのは、 癒しと希望の意味があるのではないかと書いてきました。
現代社会というのは不快なものを極力排除された殺菌化された社会であり、 そこの住人は壊れものとして扱われ、そして扱ってきたわけで、 その社会にいる人間はあまりに簡単に壊れてしまうように見えます。 いわばアウトサイダーとして激烈な人生を送ってきた彼らの顔に刻まれた皺にこそ、 若い世代のいわく言い難い不安感や、閉塞感についての解答があるのではないかと、 考えているように思えるのです。
ただしこの作家より上の世代である私の感じ方は違ってきます。 ある種スタイリシュに彼らの表情を写し出してしまうと、 私としては行き場を失なってしまうような、 この写真で掬い取ることのできなかった世界がぽっかりと見えてくるようで、 更なる深みに陥ってしまうような気がします。 これは単なる私の思い込みかもしれませんが……
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