2009年10月 4日 (日)

小野隆行写真展-青の肖像-新宿ニコンサロン

私自身繁華街を歩いていて、 すれ違ういわゆるホームレスの人達の「面構え」に思わず見惚れてしまうことがあります。

私のようなサラリーマンとは言えども板場一枚下は地獄、 半年先は彼らのような生活をしている可能性もゼロではないわけではないのですが、 私も彼らのような生活をすれば「面構え」になるのか、 また逆に彼らが普通の格好をしたら目立たなくなって、街を歩く普通の人達に埋もれてしまうのか、 何か相容れないものを感じていたのは事実です。

この作者もそこに注目したのでしょう。 街にいるホームレスたちのポートレートを撮り続けた写真展です。

会場には彼らの全身写真と、顔のクローズアップの写真が半分ずつ展示されていています。 迫力のあるのは後者のクローズアップでしょう。 ただ私のイメージするホームレスよりは登場する人たちはこざっぱりしていて、 本片手のインテリっぽい人もいあるし、 空き缶のつまったポリ袋と一緒に携帯電話持っている人もいます。

彼らの「面構え」は確かに現代社会が失ったある種の原初的なバイタリティー、 つまり生肉を貪り、木の実を齧って今日一日の命を繋ぐことが最大の目的だった 太古の昔の我々の「面構え」も感じさせます。

逆に言えば、現代社会と言うのは、 彼らのような原始的バイタリティーを 疎外し排除することによって成り立つというのではないか、 とすら思わせる説得力がこの写真にはあります。

私は若い世代の写真家が老人たちのポートレート写真を観て、 彼らが老人達を撮るのは、 癒しと希望の意味があるのではないかと書いてきました。

現代社会というのは不快なものを極力排除された殺菌化された社会であり、 そこの住人は壊れものとして扱われ、そして扱ってきたわけで、 その社会にいる人間はあまりに簡単に壊れてしまうように見えます。 いわばアウトサイダーとして激烈な人生を送ってきた彼らの顔に刻まれた皺にこそ、 若い世代のいわく言い難い不安感や、閉塞感についての解答があるのではないかと、 考えているように思えるのです。

ただしこの作家より上の世代である私の感じ方は違ってきます。 ある種スタイリシュに彼らの表情を写し出してしまうと、 私としては行き場を失なってしまうような、 この写真で掬い取ることのできなかった世界がぽっかりと見えてくるようで、 更なる深みに陥ってしまうような気がします。 これは単なる私の思い込みかもしれませんが……

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2009年9月23日 (水)

斎藤和男写真展-東京ロンド-新宿ニコンサロンbis

モノクロの銀塩写真による作品集です。 被写体として選ばれたのは東京の行き交う人たちです。 犬の散歩をする人も、 お祭りに行く途中の人も、 楽器の練習をする人も、 井戸端会議をしている人も、 仕事をしている人も、 普通の人たちの普通の表情があります。

モノクロ写真ゆえ、ということもあり、 なかなか撮られた時代というのがわかりにくいのですが、 背景から察してそれほど昔の写真ではないようです。

私自身、街角のスナップ写真というものを見るとき、 何故かしら息を凝らして見てしまうところがあります。 それは被写体となった人たちをどのような関係のもとに撮影したのか、 盗み撮りなのか、それとも了承の上に撮ったのか、 シャッターを押した後に何で撮ったのか、と揉めたりしないのか、 余計な心配と言えば余計な心配なのですが、 とにかく被写体となった人の視線をまず見てしまうところがあります。

シャッターを押す一瞬で、 被写体となる人の関係をうまく掴んでしまうことができる能力、 そんなものが写真家に必要な能力のように思えます。 このあたりがこの作者は絶妙であり、 視線の合っている人の写真もあるし、 隠し撮りのような写真もあり、 それらの写真の組み合わせが巧みと言えるでしょう。 そしてそこに写る人たちの表情が柔和であるのは、 この作者自身の人柄の投影でもあります。

ふらりと散歩がてら、 気になった風景や人たちを次々とスナップしていく、 というのは写真を撮るひとつの醍醐味であるわけで、 一枚一枚現像まで含めて作品に仕上げていく、 写真を観る楽しみよりも、撮る楽しみが勝っている類の写真です。

そして撮る楽しみ、 現像する楽しみが写真一枚一枚に溢れ出ているかのように、 観るものも楽しめる、 その意味では写真の王道を行く作品と言えます。

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2009年9月19日 (土)

小林のりお写真展-アウト・オブ・アガルタ-新宿ニコンサロン

アガルタという言葉は私自身聞き覚えがあって、 一体何だっけと思って会場を訪れたのですが、 会場に小さく流れるミュートの効いたトランペット、 聞き間違えようもありません、 マイルス・デイビスです。 それで思い出しました。 アガルタというのはマイルス・テイビスのアルバムのタイトルで使われていた言葉です。

そのマイルス・テイビスが電子音楽を取り入れたように、 この作家もデジタル技術を取り入れたのでしょうか。 すべてデジタル撮影でアクリル板にプリントアウトされた作品に仕上げています。

被写体として選らばれたのは、 農地なのか、荒地なのか、 時代がもう少しよくなれば、 美しい場所に整備されなおすのか、 それともより荒廃していくのか、 雑然としながらもたくましく生きる住人の生活の場なのか、 朽ちるままな廃屋寸前でもなすすべのない人達の住処なのか、まったく判然としない、 ちょっと街中から離れれば普通に広がる風景です。

デジタルな表現というのは容赦がありません。 その表現に曖昧さというものはなく、 抜けるような色彩ゆえに一切の陰影を許さないように見えます。 その表現をつきつめた所にどんな表現が広がるのか、 その実験がここにあるように思えます。

打ち捨てられた傷だらけのダッチ・ワイフを写した写真があります。 量子化され電気信号に変換された光の中では、 妙に誇張された女性器の造形に、 意味を見い出しようがありません。

駅のベンチの写真を撮ったとしても、 色々な気持ちでそこに座った無数の人たちの生活があるはずで、 そのベンチの写真一枚で、そこに存在したという歴史というものが写り込んできても おかしくはないはずです。

しかしながら殺菌されたようなデジタルな光の中で写し出された世界は、 言い方が悪いかもしれませんが、そこに単に存在しただけだという、 実も蓋もない姿を晒してしまっています。

青く塗られたトタン板はあくまで青く、コカコーラの自動販売機はあくまで赤いという、 原色の映像世界は私たちの心象風景と屹立するでしょう。 それだけではありません。 私たちの記憶以上、さらに言ってしまえばその存在自体を 超えてしまうほどにデジタル技術はその表現世界を獲得してしまったように思えてしまいます。 そしてそれをどう捉えたらいいのか、 戸惑いを覚えてしまうのも正直な感想でもあります。

伝統的な四ビートを捨て、 電子楽器を多用したロックのリズムを取り入れたマイルス・デイビスのように、 そしてそれを新しい音楽だと聞き入っていた若いころの私のように、 デジタルな世界に身を委ねなければならないでしょう。

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2009年9月 5日 (土)

角尾 敦志写真展-GALACTICA-エプソン イメージングギャラリー エプサイト2

グローバル化が進む世界でその風景はどのように姿を変えていくのか、 その疑問の尖端に旅する写真家は立っているように思えます。

世界各国で、普通の人が普通に生活する、 どこにでもある場所の何気ない風景ガここで問題となります。 どこにでもあるような看板や、 高層マンションやショッピング・モールがその風景を侵食し始めている、そんな現実の中で、 世界は均質化に進むのか、あるいはそれはあくまで表層的な事象であり、 人々の表情や店先に並ぶ商品の微妙な差異が存在するように、 地域の特異性は生き残るのか、 それは予想のつきにくい問題であると言えます。

問題を複雑なものにするのは、 風景を撮る写真家の視点にもより、 その世界観はまったく違ってしまうということにあります。

世界は全く同じであるという視点に立てば、 そのような作品ができてしまうし、 またその正反対のことも可能です。

そしてその立場を肯定するのか否定的立場なのかによっても、 変ってきます。

つまりその世界の風景は、 写真を撮るという行為において、角尾 敦志写真展-GALACTICA-エプソン イメージングギャラリー エプサイト2

グローバル化が進む世界でその風景はどのように姿を変えていくのか、 その疑問の尖端に旅する写真家は立っているように思えます。

世界各国で、普通の人が普通に生活する、 どこにでもある場所の何気ない風景ガここで問題となります。 どこにでもあるような看板や、 高層マンションやショッピング・モールがその風景を侵食し始めている、そんな現実の中で、 世界は均質化に進むのか、あるいはそれはあくまで表層的な事象であり、 人々の表情や店先に並ぶ商品の微妙な差異が存在するように、 地域の特異性は生き残るのか、 それは予想のつきにくい問題であると言えます。

問題を複雑なものにするのは、 風景を撮る写真家の視点にもより、 その世界観はまったく違ってしまうということにあります。

世界は全く同じであるという視点に立てば、 そのような作品ができてしまうし、 またその正反対のことも可能です。

そしてその立場を肯定するのか否定的立場なのかによっても、 変ってきます。

つまりその世界の風景は、 写真を撮るという行為において、 いくつものフィルター越しにその世界を見ざるをえず、 その姿を隠されてしまいます。

「世界を赤く染め上げたらどうなるのか」 作者はそんなことに思いつき、 台湾を香港をそしてニューヨークを旅します。

この実験の結果はどうだったでしょうか、 アジアの風景とニューヨークの風景と、 赤のフィルターを通じて覩る世界には明らかに差異があるように見えます。 ひらたく言ってしまうと、 赤の似合うのはやはりアジア圏の国々であり、 ニューヨークはそぐわない感じがします。

何故赤なのか、という疑問はここではどうでもいいことなのかもしれません。 それは任意に選ばれた一つの色であるということ、 単一の色ということは一つの視点であるということの作者の一つの明示的な姿勢です。 画像に記録するという行為の背景にある、 意識的にしろ、無意識にしろ、 何かしらの視点によって「毒」されているということを、 我々写真を観るものにも、 そして何よりも写真を撮る作者自身にも補助線を示すという意味でも 果敢な実験ということだと思います。

いくつものフィルター越しにその世界を見ざるをえず、 その姿を隠されてしまいます。

「世界を赤く染め上げたらどうなるのか」 作者はそんなことに思いつき、 台湾を香港をそしてニューヨークを旅します。

この実験の結果はどうだったでしょうか、 アジアの風景とニューヨークの風景と、 赤のフィルターを通じて覩る世界には明らかに差異があるように見えます。 ひらたく言ってしまうと、 赤の似合うのはやはりアジア圏の国々であり、 ニューヨークはそぐわない感じがします。

何故赤なのか、という疑問はここではどうでもいいことなのかもしれません。 それは任意に選ばれた一つの色であるということ、 単一の色ということは一つの視点であるということの作者の一つの明示的な姿勢です。 画像に記録するという行為の背景にある、 意識的にしろ、無意識にしろ、 何かしらの視点によって「毒」されているということを、 我々写真を観るものにも、 そして何よりも写真を撮る作者自身にも補助線を示すという意味でも 果敢な実験ということだと思います。

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2009年8月29日 (土)

金井紀光写真展-この町にて-コニカミノルタギャラリーA

静岡の街を1980年代から撮りためた写真展です。写真は全てモノクロで銀塩写真です。何か新しい商品を発売しようとするとき、テスト販売で選ばれるのが静岡ということも聞いたこともあります。新幹線で行き来するような類の(私のような)人には静岡というのは通り過ぎるだけのところであり、その印象というのも希薄なのかもしれません。たぶん日本のどこにでもある風景ということであれば、静岡というのはその平均的な風景であるということになります。

写真はほぼ二十年に渡るその街並、およびそこの人達の写真です。作者自身、あじわいがって好きだったという街角のパン屋が二代目になり、ビルに建て替え中であるとか、ホームレスの女性は昔色っぽい仕事をして、話かけると誘ってるとか、風俗店の下働きのおじさんだと思っていたら、実は札束かかえている人(社長さん?)だったとか、おでんやの名前は、開店した時生まれた子の名前と同じで、その娘も今は四十になったとか、登場人物のエピソードについてのキャプションが手書きで添えられています。

被写体となった人たちとの交流があり、等身大の身の回りの人々、風景を何十年にもわたり、モノクロ、銀塩写真という変わらぬ手法で撮り続けるというということ、それこそが写真というもののかけがいのない価値ではないかと思ったりします。

一枚の写真では何も伝わらないかもしれないけれど、年代を越えて並べられたときに生じてくる一つの重みがあります。ドッグ・イヤーなんて言葉がありましたが、二十年、三十年という時間は、劇的に変ったはずであり、今後もさらに激しい変化の嵐に放り込まれると言い立てられています。テレビや新聞や雑誌はいつでもそんな論調でしょう。

それを読む側もついついそれに乗せられて、そうかな、そんな風かなと思い込まされてしまっています。その変化についていけるかな、たぶんついていけないな、疲れるなというのが現代だと思います。

でもこのようにな何気ない街角写真のクロニクルを見れば、激動の時代にも変わらない何かがあるということをわからせてくれます。センセーショナルではないという意味で、語られなかったわけではないけれど、語るに零れてしまう、普通の街の、普通の人々の息使いを掬い取ってくれるこれらの写真は、何か観る者をほっとさせてくれます。

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2009年8月23日 (日)

勝田尚哉写真展-築く-コニカミノルタギャラリーC

都会は無数のパブリック・スペースが存在していますが、少なくとも同数のプライベート・スペースが存在することになります。そしてパブリック・スペースとプライベート・スペースの面積を比べるとしたらプライベート・スペースが圧倒的に多いと思われます。都会の中を自由に行き来できるようで、実際に立ち入りができる所など数パーセントもないでしょう。

立ち入りが禁止される理由は様々あります。単純に公人・私人を問わずプライベート・スペースだからという理由もあるだろうし、保安上の問題というのもあるでしょう。

そして普段一般の人が立ち入れないという、それだけの理由で、もの珍しさ、好奇心以上に特別な意味を持ってきます。

立入のできるエリアは実は限られているという意味では、東京も伊勢神宮もまったく同じ構造を持っていると言えるかもしれません。

今回の写真展は普通ならば一般の人が立ち入りが拒否される空間の一つ、工事現場を撮った作品展です。

薄暗い半地下の空間の中で、作業用の電灯が篝火のように、錆びた鉄骨と剥き出しの地盤が照らされるその場所は、胎内に潜り込んだと錯覚させる、エロチシズムすらただよう神々しさが漂っています。

この空間は誰に支配されているのか? ここは厳密に構造計算された力学的な空間であり、この建造物が建設することにより享受できる高度な経済的な空間です。つまり科学的合理性という名のもとに君臨している、技術と経済というふたつの現代の「神」がそこに降り立つ祝祭の場です。

作者は深く現場に入り込んで撮影しています。どのような関係でこのような場所を撮影できたのか、そんな疑問がありましたが、それもそのはず、作者は長く建築会社に勤務されていて、担当となった広報の仕事で建築写真を始めたとのことです。

完成してしまえば類型的としか思えない建築物にしかならないかもしれません。それでもパネルに囲われ、人の目から隔絶された更地の中で、杭が打たれ、梁が掛けられた瞬間、そこが聖なる場所、現代の禁足地となり得るということを明らかにしたという意味でも、極めて美しい写真です。

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2009年8月14日 (金)

大山高写真展-Freezing at moment-新宿ニコンサロン

東京を舞台に行き交う人々を撮りためた写真集です。被写体となっているのはいわゆる市井の人という表現がピッタリでしょう。東京近郊、私鉄沿線の駅にいるような地味な感じの人が多いなと思っていたら、銀座や渋谷の見慣れた繁華街の写真もあり、その風景が何か変だなと思っていたら、それもそのはず、撮影されたのが1980年から1995年ということ、なるほどと納得しました。

新しくリプリントされた結果かもしれませんが、写真そのものに古さは感じさせません。もっとも二十年という歴史は私の年代の人間にとってはあっと言うまで、現代との違いはわずかしか感じられませんが、若い人が観たとしたら、登場する人たちのファッションや髪型を含めて、隔世の感を抱くかもしれません。

私自身の記憶で言えば、1980年から90年代とは、女性の総合職が採用され、男に伍してバリバリ働く女性が登場してきた時期に重なるように記憶しています。

それを象徴するかの写真があります。レザーのタイトスカート、小脇にショルダーバックを抱え、胸元で暴れるペンダントを手で抑えながら、商店街をハイヒールで疾走する女性の写真です。

あの頃、本当に女性が眩しく見えたのは1980年という時代だったのか、それともあの当時、バブルを経て失われた十年、私自身何か疲れきったような感じしか残らない私自身の問題かは判然としませんが……

組写真になっているある作品が印象的です。左側の写真はハッとするほど清楚で美しい女子高生、後ろから呼び止めたのでしょうか半身になってレンズを見つめています。右側の写真は児童公園にあるコンクリートの遊具、それは小山のように盛られていてトンネルが掘られています。そのトンネルの形が象徴的であり、性的な暗喩として、女子高生の写真と並べられているとしか考えられません。まさしくこの写真が撮られた二十年前、作者も二十代だったとのことです。

何度もここで書いていることですがモノクロ写真というのは、例えば色のついた夢を見ることが少ないように、私達の記憶の喪失と、シンクロナイズするところがあります。モノクロ写真の写真家は写真の中から何かをこそげ落とし、何かを残します。だから二十年前、街行く女性たちをスナップしていた作者の、ある種ギラギラさせていたものも、時代を経て優しく残してくれるように思えます。

多分私が一番知りたいのはこの作家(恐らく現在は40才代の男として)が今も二十年前と同じくスナップ写真を撮り続けているのかということ、そしてさらに二十年後どのようにそれがみえるのかということです。

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2009年7月25日 (土)

刑部信人-comic FOTO PREMIO-コニカミノルトプラザ ギャラリーA

写真について文章で説明するには、時として虚しい気になることがありますが、今回の作品展の写真は意味があるかも知れません。(ただし私の拙い文章力で、作者の意図が伝えられるかというとこれは問題かも知れませんが)

渋谷駅ガード下の写真があります。一台のパトカーが停まっています。両側のドアが開け放たれており、そこに数人の警官が殺到しています。何かがあったに違いないのですが、それは分かりません。そしてそこに集まった警官たちのすべて決定的に肝心なことを見逃しているように思えます。パトカーの前方道路脇は生垣になっており、木の脇から白い布で頬冠りした男が様子をうかがっていて、明らかにこの男が怪しい感じです。

次に競馬場での写真です。そこは芝生の広場が広がっており、うらららかな日思い思いに日向ぼっこをしているようです。写真が捕らえたのは芝生に寝転んだ一人の男。一瞬びっくりさせられるのはその男の首がないということです。でもよく見るとその男は首を両肩の間に埋めるようにして居眠りしているだけです。だがその姿はうなだれているようにも見え、場所が場所だけに競馬で大損しているのではないかと考えたりします。ただ男の前には新聞が広げられているのですが、それは普通の新聞であり、ギャンブルに来たわけもなく、ただ日向ぼっこに来たついでに居眠りしてしまっただけのようです。

とあるテーマパークの写真も笑わせます。時代劇をテーマにしているのでしょうか、観客もまばらで休憩所にいる客も多分この程度だろうと、どこかつまらなそうにしています。だが彼らが全く気が付いていないところ、つまり彼らの頭上には二本のロープが張られていて、そこを忍者姿をした男がロープを渡っています。

つまりこの作者は明確です。その写真の構図の中、切り取られた一瞬、ただレンズを向けたその構図だけで浮かび上がる笑いです。実を言うとこのような光景は日常にたくさん潜んでいるかもしれないのですが、そのほとんどは気がつきませんし、気が付いても忘れてしまうものでしょう。一瞬を捕らえるということで、成立する世界というのは極めて写真的であり、一つの威力と言えるでしょう。

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2009年7月19日 (日)

王子直紀写真展-牛島-新宿ニコンサロン

鹿児島県鹿児島郡十島村悪石島。本作品展の「牛島」とはこの島と考えて間違いなさそうです。屋久島と奄美大島の間にあるトカラ列島に浮かぶ南国の小さな島で、ポゼ祭りという奇祭が有名で、7月22日、皆既日食の観測に絶好の地であり、テレビクルーを始め島は今まで訪れたことのない人数を迎えるために準備が大変とのことです。

ギャラリーには作品に関する紹介文や作者の略歴が何もないので、写真に写ったものから探さなければなりません。ただ作品の中に「悪石島小・中学校」の校門の写真があるので、そこを探すのは難しいことではありません(ちなみにこの悪石島小中学校のブログが充実していて、日食観測前の様子が描かれています)

写真は全てモノクロです。辺境の島を訪れて、普通に感じるだろう南国の自然の美しさ、豊かさ、そこに住む人達の素朴で人懐こい笑顔、なんてものには明らかに背を向けているです。磯にはいかにも悪石島の由来かと思わせる軽石のようにボツボツ穴のあいた石が転がり、亜熱帯の植物が村を浸食するように迫っているように見える景色です。少なくとも当地の観光協会から推薦が得られるような写真ではありません(もっともそんな写真展であれば私自身あまり食指が動きませんが)。

そこにあるのはどちらかというと濃密な人々の生活の匂いです。重機を動かし、家を建て、裏山の崖の補修をし、墓を掃除する、そんな人々の暮らしです。そんな村の風景で黒牛がいます。そのなんとなく不機嫌そうな佇まいが目を引きます。

作者の視点がなんとなく奇妙です。窮屈という訳ではなく、なんとなく限定されているような、作者自身どのような方法論で作品に接しようとしているのかちょっとわかりません。島の風景をある程度距離を置いてスナップしているわけでもないし、村人の中に入り込んだルポルタージュ的な視点でもない、ちょうどその中間という感じです。それが中途半端とは言いませんが、その立ち位置にある種のもどかしさを感じてしまうというのが私の率直な感想です。

結局ニコンサロンのサイトにある紹介文を参考にせざるを得ませんでした。作者はどちらかというと都市の写真を得意としていること、そして八十ミリという”中途半端な”レンズ一本を持ち込んで島に乗り込んだということ。村の人達の仕事を手伝ったりしながら写真を撮りためたということ。そして乗り込んだ島も悪石島ではなく同じトカラ列島の平島であること。そんなことが書いてあります。

つまりこの作家の立ち位置という問題だと思います。都会という存在はある意味無防備で、レンズさえ向ければ被写体は向こう側から飛び込んでくるのでしょう。都会では充分と言える八十ミリレンズも辺境の島では息苦しさすら感じてしまう画角の狭さとなります。しかしながら時代を写すために共通の視点も必要であることも事実であり、都会を写す方法論として確立したその手法がどこまで通用するのか、その実験のための苦闘の記録と言えるでしょう。

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2009年7月12日 (日)

金瀬胖写真展-千葉 銀色の街-コニカミノルタプラザ ギャラリーA

ここ数年の千葉の風景を銀塩フィルムを使ったモノクロの写真です。千葉と言っても作者が住む習志野から船橋、富津あたり、撮影されたのは古くて2000年、多くは去年、一昨年あたりに撮られています。

この写真の舞台となるJR津田沼駅あたり、ユザワヤのビルの裏側にある畑の風景は私にもなじみがあるものです。

作品を一通り見て浮かび上がってくる感想は、日本の街並みというのは、この数年で酷く傷ついてしまったのだなぁ ということです。

その思いを強く持った写真があります。たぶん私鉄沿線の駅、急行が停まるかどうかの駅の風景です。それほど広くはないロータリー乗用車が一台を除いてはがらんとしていて、アスファルトのひび割れが痛々しく広がっています。ロータリーの真ん中にはクリスマスツリーがあり、夜になればそれなりに綺麗に輝くのでしょうが、昼間ではわびしげです。駅前広場を囲む建物も古びて見え、「エイブル」という不動産屋の看板でかろうじてこれが2000年代の写真であることが察せられ、それがなければ80年代と言われても分からないでしょう。

言い悪いとして別にしても、おそらくこの十数年で都会の風景は劇的に様変わりしているはずと思いこんでいたのです。ところがこの一枚の写真はある意味驚きでした。

非効率的、老朽化あるいは単に古くさいとか、どんな理由はわかりませんが、その時代で否定された風景を塗り固めていたものが、この数年でほろりとはげ落ちて昔の姿が露呈してきている、そんな印象です。

この作品の舞台となった一帯は短期間で二種類の荒波を受けています。一つはバブル期を挟んで断続的に続く開発による破壊、二つ目はバブル崩壊や昨今の不況による衰退。おそらく時間をおかないで破壊と衰退の過程を繰り返した街は、ノスタルジーなど抱きようのない痛ましさだけが残されています。

作者の言葉を引用すれば、「消滅の際にあるものが酸化した銀色の結晶のように見える」とのことです。これは即ち銀塩写真のことです。うっすらと皮膜し、堆積していく見えない錆のようなものを、乳剤に潜ませた銀粒子一つ一つに呼応させ、X線写真のようにその街の痛みを結像させていく、この作者にとって作品とはその過程に他なりません。

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2009年7月 5日 (日)

津乗健太写真展-楽しくなさそうにはしていない猫-船橋競馬場の猫たち-コニカミノルタプラザギャラリーA

作者は現在船橋競馬場の厩舎員として働いているとのことです。写真家志望の若い男性がどんな経緯で厩舎に勤めるようになったのかは不明です。ただ今回と同名の写真展を過去同じギャラリーで開いているそうで、最初は汚くて臭くて嫌だと思っていた厩舎暮らしが、今ではそれなりに愛着が湧いて来たということが挨拶文に書かれています。

厩舎という閉ざされた不思議な世界の風景が最初に興味を引きます。厩舎と聞いて、閉鎖的で旧態然としていて、仕事だって恐らく単調な肉体労働の連続で、よっぽどの馬好きでなければ勤まらないだろうなということが、私の中のイメージとして浮かんできます。

そんなイメージを半ば裏切らないような風景が広がっています。ちょっと前に流行った昭和レトロの世界に近いのかも知れません。厩舎員の宿舎なのでしょうか、トタン屋根の二階建ての家は普通に民家のようにしか見えず、二階のベランダには洗濯物が干してあったりします。ただ生活感が漂う普通の家と違うのは、その家の壁に区画を示す英数字が大書してあること、そして家の目の前の道が、アスファルトの道ではなく、未舗装のダートであるということです。

そこにいる猫は飼い猫なのか、馬の餌のおこぼれを求めて集まってくる野良猫なのかは分かりません。人に懐いているのかそうでないのか、厩舎の人間も猫たちをかわいがっているのか、それとも害悪を厩舎に与えることがないということで放置しているのかがわかりません。その猫と人間のないようであるような距離感が、妙な懐かしさを呼び起こします。

そして猫の後ろ姿を写す作者の視点は、まさに猫の視点はと言っていいでしょう。厩舎という社会に自らの存在をそれなりに認められてはいるだろうけれど、それでもまだ部外者としての違和感は拭いきれない、そんな立場の作者の視線と重なります。そしてその視点は少しずつ写真家の視点に近づいている、という作者自身の手応えが伝わってきます。「楽しくなさそうにはしていない」というのはまさしく作者自身です。

個人的な嗜好を言わせて貰うと、私は猫とか犬とかを被写体とした写真展というのは苦手です。ですからギャラリーのある高野ビルの入り口で写真展の題名を見た時、正直あまり食指が動きませんでした。ただ私が想像していたような「猫可愛がり」の写真ではないことは確かです。

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2009年6月28日 (日)

林秀煥写真展-Picturesque-juna21新宿ニコンサロン

風景写真です。舞台となるのは郊外の住宅地であったり、駅前商店街の一角だったり、何気ない都会の風景を撮っています。

ただシャッターを切ると同時に激しくカメラを動かしているために風景は歪み、ブレています。そんな奇妙な風景写真です。

シャッターを押すという行為はかつては呪術的な意味を持っていたはずでした。瞬間に時間が切り取られ、そこから結像するものは現実であって現実ではない、という感覚は写真が発明されてからどんなにその表現の写実性が上がったとしても、人間の中に刷り込まれているように思えます。

写真家はその非現実性を意識的にあるいは無意識的に利用してきたように思えます。そのイメージを現実と偽った詐術的な行為が歴史の中でも半ば公然と行われていて、写真家がまったく無罪とも言い切れないはずです。

さらにテクノロジーが進歩してきて写真という呪術がデジタルという悪魔に飲み込まれてしまっている現在において、その記録媒体としても、芸術作品としてもその存在が危うくなってしまうのではないかという危機感もあるはずです。

カメラ付きの機能のない携帯電話を探すことが難しいぐらいのご時世ですから、沢山の映像が間単に得られ、かつデジタル処理を容易に行える現在、そこに映し出される映像に何の意味を持ちえるのか? そんな根源的な問題が写真家の中に湧いても不思議ではありません。

この作家の手法は明らかです。つまり精度を持ったはずのカメラから得られるその映像のその精度の否定です。

そのカメラの動かし方は色々で、単純に流れるようなブレ方もあれば、渦を巻いているようなブレ方もあります。何かが歪んだ形で残り、それ以外をブレさせるという手法は、たぶん職人的な技巧が要求させられるではないかと思ったりします。

ただ作品は単純にブレ方の美しさを狙ったというわけではありません。テクノロジーの完全無欠な完成としてのカメラから綻びを見つけ出し、そこに作品としての息吹を見いだそうという作者自身の果敢な取り組みにも思えるし、さらに言えば、そんなテクノロジーで得られてしまう映像など消し去ってしまえ、というある種の衝動を感じてしまうのです。

作者はソウル出身とのこと。偶然かもしれませんが、最近私は韓国系、中国系の作家を良く見ているような気がします。ある種の情念を何気なく写真の中に潜ませているといった手法に、彼らの中に共通点があるように思えたりします。

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2009年6月14日 (日)

Jui PHOTO-EXHIBITION-CAOSMOS カオスモス-新宿ニコンサロン

モノクロプリントが美しい写真です。中国生まれで日本で活躍する女性作家の作品展です。都内某所のコスモス園で撮影したとのこと、アクリル板に焼き付けた写真と紙焼きの写真が半数づつ展示されています。コスモス園に訪れる人たちを見つめた写真と、枯れ行くコスモスを凝視する写真が半分づつあります。

コスモスという花は桜と比べてどうしても見劣りがしてしまうのは、散り際の見事さというのがなくて、同じ畑の中でも、無惨に萎れていく姿を晒してしまうからだと思います。どちらかというとついついそんな萎れた花についつい目が行ってしまったりします。

そんなコスモス畑を被写体として選んだ、この作家の視点が極めてユニークです。花畑に迷い込んでしまった小動物か、あるいは誰にも気がつかれないまま死を迎えつつある行き倒れた人か、どちらかです。明らかに花畑の中に半ば埋もれてそこから見上げた時に見える風景です。

モノクロ写真と言う「漂白」された世界においては、咲き誇っている花も、枯れた花もその違いが希薄になります。敢えていえば、その造形の複雑さ、奇妙さにおいて枯れた花の方が惹かれてしまうし、そこに集う人たちも、美しさに訪れたというより、グロテスクな見世物の見物人に見えなくもありません。

群生した花が一斉に花開くその一瞬は、生命の絶頂でありますが、同時に枯れていく運命を予感させるわけで、その生と死の循環の変わり目の祝祭の中での作者自身の視線は、どこか置き去りにされた感じ、虚ろさを感じさせます。

その虚ろさは、コスモス園に訪れる人たちのある種の無邪気さからでも、天に向かって花弁を広げていたその花と養分も尽きて茎を折るようにしてうなだれる花弁が織りなす幾何学模様の不思議さにも現れてきます。

季節と共に生と死を繰り返すその存在に比べて、「人間の個」という生物種は絶望的に非循環であるということ、朽ちて行くことに対して再生することは絶対にあり得ないという、当たり前でいて認めたくない残酷な事実、それがコスモス園に潜んでいます。

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2009年5月31日 (日)

宮崎 豊写真展展-A Landscape Outside The Window-新宿ニコンサロン

ピンホールカメラによる作品です。ピンホールカメラのマニアがいて、専門とする写真家がいることは話に聞いていましたし、専門のサイトがあることも知っていました。私自身写真そのものを見るのは生まれて初めてです。なるほど、独特な味わいのある写真だなと思いました。

この写真の特長を挙げると二点なのでしょうか。ピンホールゆえに絶対的光量不足は避けることができず、それを露光時間で補うわけです。そのために風にそよぐ草はぼけてしまいます。しかもレンズという光学的処理がないゆえに、緩やかなパン・フォーカスとも言える被写界深度があり、遠くの風景がきれいに映っていたりして、風景写真と言うには不自然な動きが表現されたりします。

またピンホールカメラは逆光に強いということも特長の一つと言ってもいいと思います。ただ太陽からの直射光がピンホールの周りで干渉が生じるのか、フレアというにはあまりにも大きな光の輪が写り込んでしまいますが。

総じて仕上がった写真はアンダー気味のシャープさに欠けた眠たい画調になります。

作品の舞台となるのは淀川の河川敷とのことです。河川敷と言っても、そこは湿原のようでもあり、雑木林のようです。増水すれば押し流されてしまうだけの場所にもかかわらず、なぜか鬱蒼と茂る林が河川敷の中にあるのは私の家の近所の川にもあります。誰が植えたわけでもなく、人の手を経ているようで経ていない、原生林というよりは、誰にも顧みられない、打ち捨てられた場所のように見えます。

作者は作品の全てに窓枠のような木枠を風景の両端に置いていて、それは自分の家の窓からの風景であるかのように写しています。作者自身の案内文によれば、淀川の近くに住んでいるそうです。

河川敷に残された自然について残しておきたいとも作者自身が書いていますが、私はこれらの写真を観ていて思い出してしまうのはまったく別のことでした。

例えば頭に浮かんだのは、昔読み飛ばした花村萬月の小説に出てくるような登場人物のことです。

例えば暴力衝動に駆られた人間が、それを成し遂げてしまった後に逃げ込んだ河川敷からの視線。自分が駆られている情念や欲望から逃れられないことにウンザリしながらも、それを止めることができない、全てが終わって残っているのは徒労感のみ、見えているようで何も見ていない、何か上の空で、思い返しても何も覚えていない、モノクロの夢のような視線。

だから画面上に演出された窓枠も鉄格子に思えてくるのです。そんな刃のような視線を写真から感じてしまうのはいくらなんでも穿ちすぎだろう、と自分ながら思ってしまうのですが。

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2009年5月24日 (日)

河原雅夫写真展-Re-View-エプソンイメージングギャラリーエプサイトギャラリー2

例えば鋼管を撮った写真があります。撮影場所は鋼管を集積するヤードのようなところなのでしょうか。鋼管の向こう側にも、その向こう側にも幾重にも重なって鋼管が見えます。その単調な構図のためか遠近感が喪失していて、模式的に見れば、画面一杯にたくさんの黒い輪が広がっているように見えます。写真の題名の通り「kaleidoscope」のようです。

湾岸地域の風景をテーマとしたモノクロ写真です。写真には草一本写っておらず、その意味で言えば荒涼たる風景を題材としていると言えます。

港には様々な素材が集積されています。それは巨大な鋼管であったっり、レールであったり、コンテナに詰められたコークスであったり、タービンの羽根だったり、砂山だったりします。

作者の説明にある通り、強い陽射しの元撮られたという写真は、光と影のハイコントラストな写真に仕上がっています。それでいてざらざらとした粗い粒子ゆえなのか、打ちっ放しコンクリートの壁やH鋼の粗削りの断面やシュリンクフィルムの凸凹した表面など、様々な材質のテクスチャーが浮き上がってきます。まるで空も雲も、そこに写り込む全てが同化していて産業資材の一つに見えてくるようです。

港というのは産業を支えるための生産資材を通過させるための一時的な仮置きの場とも言えます。その場を支配するのはいかにそれを積み上げそれを崩すかの効率性だけです。無造作におかれているように見えていてもそれは合理性という近代文明の「神」に支配されているはずで、この産業資材によってやがて作られる巨大構築物の揺籃の姿のはずです。

大都市は天変地異のあらゆる自然に打ち勝ち、屈服させることにより成り立ちます。どんなにデザインされた景観の都市であったとしても、そこに美があるとしたらその外力に抗うための巧みに設計された機能美であるはすです。

だからその大都市を構成するマテリアルにも美が宿っても不思議ではありません。極めて無機的な資材を被写体としているに関わらず、美しさを帯びてくるのはこのためです。さらに言えば「建築」という余分な意志が介在しないぶん、無垢な美しさがそこに存在すると言えるでしょう。

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2009年5月17日 (日)

小林静煇作品展-chimata-コニカミノルタプラザギャラリーA

東京の下町、目抜き通りから一本裏道に入った打ち棄てられた廃墟のような建物を題材とした作品展です。

作品は全てモノクロですが、微妙にその手法を変えています。闇の中の風景を無理矢理増感したような、粗い粒子の写真がこの作品展の白眉と言って良いと思います。

そのざらざらとした質感の中、もう住む人もいなくなった古びたアパートのモルタルの壁や、嵌め殺しのトタン板や、無器用に塗り固められたコンクリートの法面や、錆が浮き上がった鉄扉や、枯れかけた観葉植物が浮かびき上がってきます。

流行り言葉風に言えばそれはまさしく「昭和」の残骸であり、記憶の奥底に残った風景です。しかしながらこれらの風景を憧憬や懐古で語られるのではなく、極めて無機質に表現されています。しかもこれは昔の日本ではなく現在の日本の風景の断面です。

この作家の視点は徹底しています。自転車、電信柱、黒い染みの浮き出たモルタル壁など、どんなものであろうともシャッターを押せば絶対に写ってしまうだろう人間の営みのようなものを、徹頭徹尾排除しています。むしろここに存在するのは人間の欲望の果てにあるものであり、残されたもの置き去りにされた存在というのは、一種の禍々しさを持つしかないだろうという視点です。

私自身の感想を言えば、これらの作品を見ていて、かつて似たようなアパートに住んでいた頃の、どうしようもない気持ちを思い出してしまいました。

そのくすんだモルタル塗りのアパート群の四畳半の一室で、能動的に何かをするわけでもなく、寝汚く眠り続けた土曜日の夕方、とんでもない蛸壺の中に落ち込んで抜けられないのではないかと突然襲われた強迫観念です。ほとんど八つ当たりに近いことはわかっていたものの、このどうしようもなさは風景の殺風景さにあると呪ったものでした。

歴史を遡れば、昭和のある時期モルタルのアパートは憧れの対象だったかもしれません。今で言うとその対象はワンルームマンションということになるのでしょうか。だとしても何十年後の未来には打ち棄てられたようなワンルームマンションの廃墟が東京に広がっているかもしれません。

この無機質さは都会という世界に必然的に内包するものであり、それはなくなるのではなく実は今後ますます広がって行くのではないかとも思わせてしまいます。

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2009年5月10日 (日)

神田川義和写真展-幻想画布-エプソンイメージングギャラリーエプサイト ギャラリー2

「廃墟萌え」なんて言葉があるかどうか知りませんが、私はかつて廃墟の写真を集めたサイトを覗きに行くのが大好きでした。今その廃墟に大きな変化が起こっているらしい、というのがこの写真展に行くととわかります。

撮影は2008年頃から行われていることです。そう言えばこの手のサイトを覗きにしばらく行っていないということに気がつきました。ちょっと目を離した隙に世の中はどんどん進んでいきます。

一昔前までは公園や橋の下、酷いときには民家の壁まで書き散らされていた落書きが減ったよな、と通勤電車の車窓から薄ぼんやりと考えたりしていました。割れ窓理論とか何か、ニューヨークの治安が劇的に回復し、落書きが減ったのに対応して、日本の悪ガキたちも落書きなんて今更ダサいと考え出したに違いないと勝手に理屈をつけてみたりしてました。

ところが日本の無名で絵心のある悪ガキ達は消えていませんでした。彼らは自らの作品を表現するために最高の舞台を見つけ出しました。その作品の舞台とはつまり、廃墟の剥き出しになった壁面です。

この手の廃墟は朽ち果てるまでに放っておかれるだろうし、わざわざ金をかけて消すこともないでしょう。昨今の景気状況を考えても、廃墟は増えることは間違いないでしょう。今後彼らのキャンバスに困ることはないと思います。つまりいいところに目をつけたということになります。

ただ元々落書きというのは人の目のないところで書き続けるものですが、描かれたものは人の目につくことが前提になります。ところがこんな廃墟に訪れる人間と言えば、肝試しか、シンナー吸う高校生ぐらいしかいないでしょう。では何のための表現行為か? という疑問が湧いてきます。

誤解を恐れずに言い切ってしまえば、その落書きに、ある種宗教画のような神々しさを感じとってしまうのです。

この不景気な世の中に満ちている強欲さ、非情さ、愚かしさ、恨み、憎しみなどが、廃墟という場所で悪霊に姿を変えて棲み着いているのだとすれば、そこに描かれる落書きは、それらの悪霊を諫めるための壁画のようなもの、つまり悪魔封じなのではないか、と思えてくるのです

恐らく廃墟を題材に写真を撮ろうとした場合、朽ちたものの中に決して写ることのない過去を見ようとするでしょう。転がっている薬罐ひとつだって歴史があるわけであるし、それを撮ることによって、廃墟に至った過去が浮かび上がってくるかもしれません。

この作家はそのようなアプローチは決して取りません。落書きを極めて実写的に、スプレー缶で描かれた絵の原色そのままを写し取ります。まるで国宝の絵画を撮るようにです。

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2009年5月 2日 (土)

Gim Eun Ji写真展-ETHER-新宿ニコンサロン

韓国の写真家の写真展です。

白い壁の部屋の写真があります。壁全体に描かれているハングル語。何が書かれているのか私には読めません。その隣の写真が不思議な写真です。若い女性が壁に敷かれた紫色の風呂敷のような布の上に立っています。何かポーズを取るわけでも表情があるわけでもなく、ぬっと立っています。帽子を被っていますが、その部屋は天井は不思議なほど低く、彼女の頭がつかえています。その天井から照明用と思われる、剥き出しの電線が垂れ下がっています。

この写真のイメージするところは明確のような気がします。つまりこの女性のイメージする他の誰かの死、それも縊死のイメージです。

その次の写真は打って変わって小学校の教室の写真になります。一人の少女が後ろ向きにカメラを見つめています。何故かその目のあたりに光が当たっています。光の当たり方は不自然であり、何かの啓示であるようにも思えます。それは時間が遡り、一つ手前の女性の少女時代ということになるのでしょうか。

おそらくこのようにして写真の意味を絵解きのように説明することがこの写真展の一番の鑑賞の仕方であるかもしれません。

写真展の題名は「ETHER」です。「ETHER」というのはかつて物理学で、光の伝搬について説明するための仮説として考えられた仮想の物質であり、世界には目に見えない「EHTER」が満たされているということになります。しかしながらその学説は今では否定されているとのことです。

写真展全体が一つのドラマになっているように思えます。写真は決して多くを語りません。そのドラマについてはっきりとはわかりません。作者のパーソナルヒストリーの暗示かもしれませんし、そうでないかもしれません。作者の言葉で言えばマルチラテラルな解釈を求められると言うことです。

つまり写真と言う表現はレンズを通して画像を呈示することでありますが、その写真を観る人たちへ、「EHTER」を介してそのイメージを伝搬させなければならないということです。

そのイメージは時間を超え、そこに写る画像を超えてしまうはず、つまり今の素粒子物理学で言うところで言えば、ダークマターということになるでしょうか。

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2009年4月29日 (水)

大川孝写真展-FOTO PREMIO 「SENDAI」-コニカミノルタプラザ ギャラリーB

「SENDAI」は日本の地方都市、題名の通り仙台の街中に佇む人たちのスナップ写真です。

この作家は1986年生まれの若い作家であり、東北芸術工科大学在学中とのことです。

スナップ写真と言っても、どの作品も撮る側も撮られる側も計算され尽くしたポートレート写真のような完成度であり、古きモノクロ映画、ヌーベルバーグ映画の一シーンのようです。

特に女性の写真が極めて印象的です。全てが美人で若いわけでもありませんし、子供も登場してきます。それでもそこに映っている彼女たちは極めて魅力的です。一言でいうとどの女性はとってもカッコ良く写っています。

このカッコ良さというのは、普遍性であることと思います。つまり被写体として選ばれた舞台は「SENDAI」という限定的な地方都市ですが、それは「TOKYO」でも「HONG KONG」でも「SHANGHAI」でもいい、無国籍な魅力と言い換えができるかもしれません。

会場であるコニカミノルタプラザがある新宿は、カメラ量販店の「さくらや」の跡に「ユニクロ」が完成し、その開店の宣伝で外人女性をモデルとしたポスターが溢れております。私は商業的な写真の良し悪しについて、あまりよくわかりませんが、街に溢れるどんなディスプレーよりもはるかに素敵な写真であることは確かです。

この作家の手にかかればどんな人だってポスターの題材となるのではないかと思うほど、手腕は確かであると思います。

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2009年4月26日 (日)

植田修子写真展-FOTO PREMIO 私の東京生活-コニカミノルタプラザ ギャラリーA

私自身東京生まれですが、数年間地方都市で暮らしていたことがあります。その頃、出来の悪い低予算の映画、つまりピンク映画と呼ばれる映画が妙に好きになり、土曜の夜を映画館で過ごしていたことがあります。

ステレオタイプの筋、あまり魅力的とは言えない出演者、そんなことはあまり意味がなく(むしろつまらないドラマなどない方がいい)、その映画の合間に挿入される風景が大好きでした。江古田あたりの路地裏の風景だったり、新宿、靖国通りのネオンだったり、低予算の映画はセットなど組めるわけもなく、そのカメラの視線はちょうど私が見るだろう視線に近かったからかもしれません。きちんと演出された映画では逆に抑制されてしまう剥き出しの風景が、安っぽい映画ゆえに広がっているような気がしたのです。

余りにパーソナル過ぎて、誰にも伝え切れる自信がないゆえに、却って胸が締め付けられるような懐かしさがこみ上げてくるのを探していたように思えます。

今回の写真展は、岡山出身という作者が東京に出てきてから撮りためた写真です。写真には番号が振られてあり、現在の彼女の自宅からの距離が写真の題名になっています。

会場に行くと小さな紙が置かれています。その紙には同心円が描かれていて、写真が撮られた場所の座標がレーダーチャートのように描かれていています。

その距離は数キロの自宅周辺から数百キロまで、その範囲は広範に渡ります。

ただその距離に何の関係があるのかはあまりはっきりしないような気がします。質素な造りの民家の玄関先に揃えられたスリッパ、あるいは山中にぽつんとあるスチール製の物置、キャベツ畑、脈絡があるようでない風景写真が並んでいます。

その写真には極めて濃厚なパーソナルな意味合いが漂ってきます。その中身、つまり作者自身の心象風景の詳細については決して明らかにされません。提示できるのはその風景がある座標だけです。

悪意を持って言えば、説明不能な風景の羅列をされただけでは見る側にとって迷惑なだけだ、と言うことができます。

例えば大人になって、自分が観ることのできる風景が自宅の周りだけだったのが、自転車に乗れるようになったり、一人で電車に乗って遠くまで行けるようになったりして、観ることのできる風景の数が飛躍的に増えたというのは実感できることです。さらに加えて写真という表現を手に入れることにより、世界的な広がりを持って、他の人たちと共有できるのだ、という手応え、その喜び、それらがこれらの作品を支えているのかもしれません。

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2009年4月19日 (日)

近藤善照写真展-NIGHT BREATH II-エプソンイメージングギャラリーエプサイト ギャラリー2

夜の盛り場を題材とした写真展です。荒い粒子のモノクロ写真で、盛り場を行き交う人たちをスナップしています。カメラのアングルは人間の視点の高さではなく、かといって犬や猫の視点の低さでもない、腰のあたりの高さから撮られています。

たぶんノーファインダーで撮られているのか、画面は傾き、ブレています。その隠し撮りの雰囲気は一昔前の写真雑誌に出ていた、芸能人カップルの密会を撮ったスクープ写真のような臨場感があります。

恐らく街を撮ろうとした場合、その街に対してどのように接するのかで、その都会の見え方は全然違います。街の顔役なのか、それとも野良犬なのか、ペントハウスの住人の視線なのか、ホームレスの視点なのか、その街の表情はがらっと変わります。今回の作品は明らかに盛り場に対してアウトサイドの立場にいる人間の視点から撮られています。

ただそれは殺伐とした風景なのかというとそんなことはありません。

東京生まれの私は、上京して都会の風景に目が眩んだというと経験はなく、物心がついた時から都会というものがありました。

それでも思春期を迎えて、突然街の風景が変わって見えるというその瞬間を今でも覚えています。つまり盛り場を支配するある種の欲望についての理解、そしてそのために集まる女性達が突然魅力ある存在に思えてくるその瞬間です。同時にその世界に自分が入っていけるのか、そのめくるめくものを果たして共有することができるのだろうかという絶望的な疎外感が沸いてくるのを感じてました。

これらの作品に登場する女性達は、私がその頃感じたような眩しさに満ちています。彼女らのしなやかな肉体、盛り場の中で「市場価値」ありとされる肉体が、ざらざらとした荒れた画調の中で浮かび上がってきます。けっして肉感的というわけでもなく、かつ退廃的なものとしてでもなく、ある種の憧憬と優しさに満ちた作者の視線で撮られていて、それが魅力的だと言えます。

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2009年4月13日 (月)

山市直佑写真展-アジアン・トゥデイ-ニコンサロンjuna21

9.11というのはつまるところ、イスラム「原理主義」とアメリカを代表される金融「原理主義」との相克だったと思います。戦いはその後も現在まで続いているようにも思え、「金融」側は遮二無二突っ走った結果、サブ・プライム問題で自壊の瀬戸際まで追い込まれてしまいました。

貪欲な彼らはグローバル・スタンダードと言う名の投資ルールを作りあげ、水面化で世界中の原材料を投機の対象とし、経済行為を証券化し、世界各国の経済をリンケージしたわけです。

同時に巨大資本はますます至る所に浸透し、最大消費を家計に強いるために、あるべき中産階級のライフ・スタイルを規定し、その姿に誘導するためのビルボードをずらりと並べ、草刈場であるショッピングモールを作り上げました。

その結果何が起こったのでしょうか? 世界各地のランドスケープの統一化、つまり「郊外」化というべきものが進行しました。

この若い作家はアジア各国(東京・大阪を含む)を訪れ、グローバルな「郊外」化の実態についてフィールド・レポートを行いました。

写真家の視点、あるいは旅行者の視点からみればこれは由々しき問題といえます。この作家の方法論は徹底していて、「郊外」化によって侵食される均質な空間を描き出しました。それはカザフスタンの都市から、東京までアジア各国を蹂躙しつつあるものを暴き出します。昔ながらの風景に画一的な高層ビルが現れるのは、あたかもWTCの亡霊のように思えてしまいます。

振り子が片方に振れれば、もう一方にカウンターパートの力が働くのも不自然ではなく、現在のように共倒れのグローバル・リンケージを経ち切るために、経済・文化のブロック化、ローカル化に向かうかもしれないというのも間違いではないかもしれません。

ただ私たちは極端に振り子が振れてしまった悲劇というものを知っていますし、さらに巨大ショッピングモールが象徴とするものが絶対的に悪かというと、必ずしもそうとも言えないことも知っています。

ちょっと厳しいことを言えば、アジア各国を回らなくても日本全国を回ればこれくらいのことはわかります。田んぼの真ん中、国道沿いに忽然と現れる3千台無料駐車場、シネマコンプレックスつき巨大ショッッピングモールなんてものがいたるところにあったりします。さらに言うならば地方で生活したことがあるものにとって、そのような商業施設が建設され、ユニクロやスターバックスコーヒーが地元にできるのを楽しみにしていたりすることを。

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2009年4月 9日 (木)

神田川義和作品展-曖昧な時間-コニカミノルタプラザギャラリーB

1230万画素のデジタルカメラで撮られ、大型インクジェットプリンターで出力された作品です。人通りの中、三脚を据え、スローシャッターで撮影したとのことで、新宿、池袋、銀座、お台場など東京を代表する盛り場の夜景写真です。

作者の挨拶文によれば、ノーファインダーで取り続けたそうで、構図を狙うというより、そこに映りこむ人たちが醸し出すものを大切にした、ということが書かれています。

都会に溢れる光はLEDに変わっていきます。そのような半導体による発光を捉えるためには半導体素子による画像化がもっともふさわしいと考えるのも腑に落ちる考え方でしょう。

ソリッドステート化された満艦飾の光の洪水と、同じくデジタル化された受光素子との間を、浮遊するかのように人々が通り過ぎます。

スローシャッターで撮られた写真ですから、足速に通り過ぎる人達は薄くぼやけてしまいます。数秒と思われる露出時間の中で、人の流れに澱んだような佇まいの人が、作品の中に一人か二人います。

その人たちは、抱き合ったり、信号待ちをしていたり、携帯電話でメールを確かめたり、あるいは着の身着のままでベンチに寝転んでいる人たちです。

その瞬間、表情を固めている人達の表情は、おそらく偶然に違いなく、そこに留まっていることの意味などないでしょう。作者が選んだデジタル的な舞台と視線に囲まれて、ほんの束の間ですが逃げ場を失って、所在なさげにも、物憂げにも、途方にくれているようにも見えます。さらに言うならば、この作者は敢えてデジタル的手法を使って街行く人を追い込んだとも言えます。

東京の街角を撮る写真は比較的多く見かけますが、敢えて先端技術を積極的に取り込んでその先に見えるものを追い詰めるという作者の手法は斬新だと思います。

いずれにしろ、大判プリント出力の美しさに目を奪われます。デジタル写真による表現の一つの到達点とも言えるでしょう。

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2009年4月 2日 (木)

筬島孝一写真展-記憶の中の今-新宿ニコンサロン

この作品で取り上げられたのは、大分県、都市近郊の兼業農家。その家の雑然とした庭を撮影したものです。その家の主と思われる人たち(多くは老人です)のポートレートも数枚あります。

雑然と置かれたプラスチックのトレイ、ビールケース、発泡スチロールの箱、ポリタンク、マス・プロダクトの流通の過程で生み出された様々な包材が捨てられることなく積み上げられています。

こぎれいにガーデニングなど施している都会の新興住宅地などは、この文明の本質的に抱えている矛盾を巧みに押し隠して、よそよそしさを感じさせるのに対して、懐かしいような、ほっとさせられるような気にさせられます。

前近代のある種合理的とも言える循環型のシステムがまだ残る農村に、突然押し寄せてきた大量消費文明が生み出した様々な消費財を、その文明の矛盾をそのまま溜め込んだような印象の裏庭です。

まさに昭和の風景と言ってもいいですが、紛れもなく現代の風景です。そもそも大量消費文明なんて言葉もほぼ死語に近い言葉と思えるくらい、それが浸透している現在です。それでも今なお残るこの雑然さは、逆に日本社会の健在さが残っているようにすら思えてしまいます。

作品を見ているうちに私はなぜかヘミングウェイの「清潔で明るいところ」という短編小説を思い出していました。自殺し損ねたという老人が馴染みのカフェで延々と粘るのを追い出す同僚の若いウェイターを横目で見ながら、人生は無でしかなく、光と清潔さがあればいいとつぶやく男の話です。

この作品の世界はまさにヘミングウェイの世界から一番遠くにあると思えますが、雑然というよりは混沌とも言っていいほどの空間、小宇宙に安らぎを覚えるというのは、日本的、東洋的ということなのでしょうか。

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2009年3月27日 (金)

野村佐紀子写真展-もうひとつの黒闇展-BLDギャラリー

ギャラリーを回るようになって半年足らず、そこで開催される写真展のテーマは多彩ですが、あまり正面から取り上げられない、欠けているものが一つあるなぁと思っていました。それはエロチシズムというテーマだと思います。

まさかとは思いますが、ギャラリー側に倫理規制があるのでしょうか。考えられるとしたらエロチシズムが写真のテーマとなり得ない時代なのかもしれません。私が集中的に写真を見出してそれほど日が経っているわけでもないし、全てを見尽くしているわけではないので、はっきりとしたことは言えませんが。

彼女の「夜間飛行」などの写真集をみるにつけ、是非とも実物を見たいと思うようになっていました。そのテーマに真っ向勝負しているような気がしたからです。

作品展の題名は「もうひとつの黒闇」です。私の電子辞書(広辞苑第五版)で言葉を引いても「黒闇」という単語は出てきません。作者の造語なのでしょうか、ちょっと引っかかりのある題名です。

展示されている作品は全てモノクロ写真です。白眉と言えるのは会場の奥の壁面に並べられた写真でしょう。ソラリゼーションといえばいいのでしょうか、遠目から見ると何も写っていない黒い印画紙が飾られているだけのように見えます。だから近づいて目をこらさなければなりません。闇の中から被写体の輪郭が仄かに浮かび上がってきます。正直言ってあまり見やすい写真ではありません。裸体の写真があります。裸体の主は男なのか、女なのか、キスをしているのは男同士なのか、手探りしても届かないもどかしさがあります。

彼女の写真を語るのに象徴的な一枚があります。ビルの谷間からの写真です。明け方なのか夕暮れなのか、何羽かの鳥が明るい空に向かって飛び立っています。彼女の視点の位置は暗闇です。その鳥はカラスなのでしょうか、闇を抱えたまま明るい空を闇を覆い尽くすために飛び立っているようです。

つまり寝室の若い男性や女性の裸体写真に始まり、風景写真、様々な写真の共通する視点が次第に明らかになっていきます。つまり撮影者自身が闇にいること、闇の視点からの撮影されたものであります。

現代、特に都会に暮らしていると闇というものを知る機会がほとんどありません。たいていの場合手の届くところにスイッチがあり、すぐに灯りを手に入れることができます。為す術もなく、ただうずくまって朝が来るまで待つという状況は余程の事故に遭遇した以外には考えられないのです。

では闇が当たり前だった時代に何を考えて朝まで過ごしたのか?  それとも襲われることに怯えていたのか、あるいは獲物を得るために欲望をかき立てていたのか? 漆黒の闇の中で今はすっかり失ってしまった、剥き出しの獣性を抱えていたのでしょう。

おそらくエロチシズムを作品として取り上げようとしたら、被写体のみがそれを帯びているというだけでは成立しないように思えます。被写体として存在するエロチシズムに対して、形而上なのか、形而下なのか、撮影者がそれに対抗するもの、カウンターパートを持ち合わせていないと成立しえないのです。撮影者は晒された被写体と同じだけの「何か」を晒されなければならないのです。

エロチシズムというのが作品として成立しないというのが状況にあるとしたら、それは華やかに見えるフロントエンドのエロチシズムに対して、対抗すべきバックエンドとしての撮影者の「何か」が疲弊するか、荒廃しているか、あるいは手詰まりの情況に陥っているのではないかと思えてしまうのです。

彼女の作品が今の時代に輝きを持つのは、そのカウンターパートとしてのものをしっかりと抱えてているからにほかなりません。

黒闇。この作品のエロチシズムの根源があります。

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2009年3月17日 (火)

臼田 健二写真展-Water Way-銀座ニコンサロン

北海道東川町在住の写真家の作品展です。彼が住む町を舞台としています。

北海道ですから自然に囲まれ、被写体には事欠かないと思われます。しかしながらこの作家は少しひねくれていて、モノクロで撮られた風景はあまり北海道らしくはありません。何故ならば彼が固執したのはただ一つ、稲作地帯らしきその町に流れる用水路です。

地方の公共事業ということで手厚い予算がついたのか、用水路と言ってもちょっとした川と言っていいほどの大きさの水路もあります。さらにそれらはコンクリートで造られた単調なものかと思うと、堰があったり滝であったり、様々な構築物を経て水は流れていることがわかります。

その水が流れる様をスローシャッターで撮っています。もちろんこの技法は目新しいものではありません。瞬時としてとどまることを知らない水の流れを、長時間露光することにより、非現実な世界が写しだされることになります。

水の流れは例えるならば、コンクリートで固めた川床から吹き出す熱く熱せられたロウのようにも、急流でうねる水面も厚く覆われたゼラチンのように見えてきます。

おそらく水利という実利面以上のものをその用水路に見いだされたことはないのでしょう。ここに作者の視点あります。それが被写体としてなりうることを発見したという、ワクワク感が伝わってくるような気がします。

それは子供の頃、配材置き場や集会所の床下にちょっとした空間を見つけて秘密基地と読んだ子供の頃のワクワクした感じと似ているような気がします。 ちょっとした発見と子供の頃に抱いたような冒険心。それがこの写真の楽しさです。

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2009年3月15日 (日)

本城直季写真展ーここからはじまるまち Scripted Las Vegasーエプソンイメージングギャラリーエプサイト1

このギャラリーは1と2が分かれていて、1の方は比較的有名な写真家が旧作をデジタルプリントするというイメージが私には強いですが、今回は題名に”新作写真展”とあるように、撮り下ろしということになります。

本城直季は写真集「スモール・プラネット」で話題を呼んだ写真家です。その独特撮影手法をそのまま、舞台を日本からアメリカのラス・ヴェガスに移しました。

まず人工湖フーバーダムの遠景からはじまります。それから山肌を引っかくようにして工事を進めるハイウェイがあり、造成地、高層ビルが蝟集する都市、飛行場を経て、広大な建売住宅(プール付き)の遠景にたどり着くことになります。

それはあたかも歴史の旅であり、都市の形成過程を俯瞰するかのようです。実際ラス・ベガスは砂漠の中の都市であり、フーバーダムの完成によって水を引き込むことにより、街を造ることができたわけです。

幸いなことにラス・ベガスという都市は未だに開発が続けられているようで、その都市の多彩な姿を撮り続ければ、歴史絵巻ができるということになります。たとえは悪いかもしれませんが、都市を作り続けていくシム・シティーと言うコンピューター・ゲームのようでもあります。

作者の撮影技法については、今更私があれこれいうべきものではないかもしれません。アオリと呼ばれるテクニックだそうで、光軸をフィルム面からずらして撮ることを特徴とします。できた写真というのは中央部のみ焦点が合っていて、周辺部はぼけてしまいます。つまり焦点の合った部分の写実とまわりのボケの部分との対照を際だたせることにより、遠近感の喪失、ディティールの不自然な際だちなど、極めて計算された錯覚がそこに現れます。そして彼の撮る風景が実写にも関わらず、ジオラマのように見えてきます。

それは写真機の描写能力について、その可能性と限界の境界線を知り抜いた作者が、巧みにその境界を使いこなすことによって得られるマジックと言っていいでしょう。デフォルメされたランドスケープはファンタジーの世界にも見えるし、白日夢のようにも見えます。あるいは巨大な構築物を作り続けることに代表される人間の営為というものの、ある種の馬鹿々々しさ、滑稽さが浮き彫りになってくるようです。

ただし今回に限って言えばラス・ベガスは日本より広すぎました。そして巨大ゆえの単調さが目立ってしまい、被写体としてそれほど魅力的だったかどうか? アメリカの風景は日本ほど箱庭的ではない、というような気がします。

最後にこれからこの展覧会を訪れる方に一言。このギャラリーは入り口が三カ所ありますが、正面(動く歩道がある地下道の反対側、ビルのエレベーター側)から入ることをお薦めします。そうでないとこの写真展の意味が伝わらりません。

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2009年3月 7日 (土)

高木松寿写真展-「影の陰」Shade in Shadows-キャノンギャラリー銀座

会場を訪れて何故か突然思い出したことがあります。

子供の頃の話です。私にとって電車に乗るのは楽しみでした。席に着くやいなや、くるりと後ろ向きになります。隣の人の洋服を汚すからと母親に靴を脱がされ、そのまま背もたれにしがみついて車窓の風景を見ていました。電車からの風景はどんなに単調だったとしても見飽きることはありませんでした。その頃の影響か、今での新幹線や飛行機に乗るときも必ず窓側を予約します。もっとも最近電車に乗っても一生懸命風景を見ている子供なんてほとんど見なくなりましたが。

一枚の写真があります。会場の一番奥、大きな写真です。サーキットか、テストコースか、センターラインとガードレールのみが写された写真。走り続ける車の中から撮ったかのような疾走感があります。

さらにいくつかの子供の頃を思い出します。父親の自慢の車に乗せられて確か浅間山あたりをドライブしたこと。おとなしくしていなさいと怒られながらも、恐る恐る窓から覗いた風景。それは火山岩が転がっている荒涼とした景色の記憶です。

写真は全てモノクロです。それは夜の風景なのか、昼間の風景で光量を落として撮ったのか、たぶん後者の写真が多いのではないかと思います。雲、海、センターライン、テトラポッド、非現実的といっていい、光の当たり方です。奇妙なそして、計算しつくされたコントラストから浮かび上がってくるのは、見る人の網膜を通り越して、記憶という意識に直接刺激するかのようです。

どの写真も懐かしい感じがします。思い出せるような思い出せないようなあやふやな感じ。実際の風景なのか、何かの古いモノクロ映画の印象的な一シーンなのか。実際に見たわけではないけれど、この風景を見たかったと、あるいは見たことがある、と心をじわりとそしてやさしく熱せられている感じです。

しかしながら写真は1973年から1985年までに撮られたとあり、海外の風景ですから私が懐かしいと感じるのはおかしいことです。でも忘れかけていた郷愁のようなものが喚起されてしまうのはどうしてなのでしょうか。

すべてを忘れてしまうことは快感のような気がします。世の中には忘れていけないことは多すぎるし、逆に忘れたくても忘れられないことも多すぎるからです。ただ忘れることというのは、コンピュータの画面をシャットダウンするように一瞬で消え去るのではないようです。ゆっくりと時間をかけて朽ちるようにして消えていくのでしょう。イメージの中から色が消え、背後にあったディティールを失い、輪郭がぼやけ、そしてゆっくりと暗黒の中に溶け込んでいくのでしょう。

この写真の心地良さは、決して忘れたくないけれどそれでもやがては消えてしまう記憶の最後の断片として撮られていることに由来するような気がするのです。イメージが消え、無意識の彼方に追いやられてしまう、その一瞬の燐光のような輝きにシンクロナイズしているかのようです。

それは色のない夢を見るのと似ているような気がします。

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2009年3月 1日 (日)

遠藤正太写真展-光源をもとめて-新宿ニコンサロン

人々が集う景勝地の風景をモノクロで撮った写真です。題名は「光源を求めて」。ここで作者は「光源」という言葉を普通とは少し違う意味で使っています。まず「光」という言葉、どうやら「観光」という言葉で使われる「光」と同じであるようです。ちなみに漢和辞典で「光」を引くと、景色という意味があるのを知りました。風光明媚の「光」と同じです。

選ばれた撮影地は海水浴場であったり、桜の名所であったり、ロックコンサート会場だったりします。そこに集う人たちを広角レンズで撮影しています。従ってその人たちの表情は見えません。表情が消し去られてしまえば同時にそこに集う各個人の動機は写真の上から消し去られてしまいます。つまりそこにこの作者の群衆に対する醒めた視線があるわけで、作者は個人nの集合体に関する写真を撮っていることになります。

確かに写真を見ていくうちに何故観光地と称されるところに人が集うのか? という答えがあるようでないような疑問が生じてきます。

例えば群れを作らざるを得ないヒトの生物学的習性とか、ハレの場を形成する共同体の社会学的、民俗学的研究といったところなのでしょう。

その一方で携帯電話やインターネットといったコミュニケーションツールの爆発的普及があります。それらの発達とは、取引をしたり情報交換する場を実際に人と人が集まって行うことは非効率であり、コストがかかるということで極力排除し、サイバー上にその場を再構築しようとしてきたわけです。

劇的に変わりつつある現代の目から見ると、観光地に集う人たちはある種グロテスクにも見えたりするし、わざわざ遠くまで出かけていって行列しているその苦行に「ご苦労さま」と声をかけたくってしまうようなユーモアに近いものを感じたりします。

おそらくこの作者は周りの景色など消し去って、人々だけ抽出したかったのではないかと思ってしまいます。つまり個人nの集合体についてです。それが題名の「光源をもとめて」の「源」の部分です。

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2009年2月24日 (火)

ダニエル・マチャド写真展-幽閉する男-銀座ニコンサロン

ウルグアイ生まれの写真家の個展です。

モデルとなったのはホセというウルグアイ在住の男。エリートを輩出した名家の出ですが、その家も没落し、唯一残った独身のホセが独りで住んでいます。

そのホセという男もかつてはエリート官僚だったのこと。その家は独り身の寂しさにに満ちているというわけではなく、かと言って掃除が行き届いているとも決して言えないのですが、その家に飾られている写真や、置物を見ると昔の栄光、昔のノスタルジーに耽っているかのようです。南米特有といっていい、くすんだパステル調の家の色彩が影響しているかもしれません。

彼の趣味なのか、あるいは彼が最後に看取ったという叔母の形見なのか、部屋にはセルロイドか陶製の人形が飾られていたりして、ホセ自身、エリート官僚の面影はほとんどなく、引きこもりのまま年を重ねてきたようにみえます。

ずんぐりむっくりとした体躯の男は今の暮らしに満足しているのか? そんなことがとても気になります。そうではないということは確かですが、彼の表情からは何を感じているかは読み取れません。

ではなんでそんな男、ホセを被写体として選んだのでしょうか。 二十世紀半ば南米のスイスと謳われたウルグアイのその後の国家そのものの没落の象徴としての彼なのでしょうか。

壁は剥げ落ち、ソファのマットは朽ちていますが、叔母のものと思われるワンピースや鏡台はそのまま残されています。家の中を見ると荒廃の一歩手前で踏みとどまっているようです。古き良き昔の思い出などというのは所詮人の胸にしか残らないもので伝えようもありません。それらは腐るのではなく、朽ちるまま、過ぎ行く時間を静かに見送りながら、精一杯の矜持を保っている男の肖像と解するべきでしょうか。

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2009年2月21日 (土)

竹谷出写真展-Shiro to Kuro にほんのかけら-コニカミノルタギャラリーB

冬の東北、あたりは雪一面、街頭もない暗い道の脇に一台の自動販売機があります。自動販売機の蛍光灯が照らしだすのは雪に刻まれた足跡です。その足跡の主は不思議なことに自動販売機に向かう足跡のみを残しますが、それからどこへ向かったかは不明です。

あるいは漁村の光景です。背鰭や切り裂かれた腹を寒風に晒されている日干しの魚がたくさん吊されていて、その向こう側で怪訝な顔をしてこちらを見つめている老婆がいます。無惨な姿の日干しの魚と老婆の表情の対比は極寒の地において、ユーモラスな雰囲気が漂っています。

雪に閉ざされた東北地方を撮り貯めた写真展です。被写体として選ばれたものに時代性を感じさせるものはありません。昭和の東北地方と言われれば信じてしまいそうです。

作者自身の説明によると、たまたま茅葺きの屋根から木が生えている家を見つけて写真を撮ったけれども、それが気になって数年後再びそこを訪れてみたということが書かれています。また写真が撮られた場所を示す東北地方の地図が会場にあります。

写真というものは風景の断片に過ぎず、いかに鄙びた風景が写真に収められたとしても、振り返れば巨大ショッピングセンターがあるということだってあるかもしれません。被写体を選びフレームアップすれば何でも語れてしまいます。

作り手が行うかもしれない作為に対する見る側の疑念に対して、作者は東北の津々浦々まで歩き回ったわけです。その歩みこそが作品に対する厚みとなり、見る側の疑念を吹き飛ばそうとしているかのようです。

時代性を感じられない被写体を選んだにもかかわらず、それでいて現代の写真と納得させてしまう時代性を感じてしまうところにこの作品の優れたところがあります。題名の通り、この作家がいかに沢山の「にほんのかけら」を集め、一つ一つ観察吟味していったか、その作業の成果であることは確かです。

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2009年2月19日 (木)

緒方範人写真展-Cassandra Had the Strangest Dream-コニカミノルタプラザギャラリーA

新宿駅東口歩いてすぐのビルにあるコニカミノルタプラザは通勤の途中ということもあり、足繁く通っているギャラリーの一つです。

ただ主催元の企業はすでにカメラ事業から撤退しており、昨今の大不況を考えてもいつ閉鎖されてもおかしくはない状況だと思います。その閉館前の最後の輝きなのか、とは思いたくないですが、最近は力作が多いと思います。

この半年間の世の中の変わりようというのはすざましいものがあります。あれほどグローバル化を叫んでいた張本人が、突然バイ・アメリカンなどと言い出す始末です。なぁんだ結局そうだったのかと憑き物が落ちたような、株価が落ち込んだ以上に短期間にものの見方が百八十度変わってしまったことに驚きを感じます。

今回の写真展、奇しくも前回取り上げた高田玲さんの写真と極めてそのコンセプトが似ています。単に巡り合わせの問題なのかどうかわかりません。都会の風景、特にビル群が織りなす紋様を大胆な構図で取り出すという手法に、写真家(たち)の一体何を見いだそうとしているのでしょうか。

繰り返しになりますが、前回高田さんの写真を「都市の結晶多形としての建築」といった意味のことを書きました。今回の緒方さんの写真はさらに徹底していて、単に矩形の集合体であるビルのテクスチャーの美しさは官能的ですらあります。

展示はやや変速的です。四枚ひとまとめにした組写真が数組展示されています。ほとんどは都会のビルの写真ですが、一組だけどこかのお寺か、瓦葺きの建物の写真があります。最初私は少し違和感を感じました。何故作者はここに伝統的な家屋の写真を忍ばせたのでしょうか。

建築という汎用のオブジェクトがあり、それに対するベーシックな機能美への回帰がここにあるように思います。金融バブルが弾けてからこれから何をすべきなのか、不景気の嵐の真っ直中、こんな方向に世の中が流れていくんだなと、妙に時代の雰囲気に合っているような、つまり憑き物が落ちるような感じがします。穿ち過ぎかもしれませんが。

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2009年2月13日 (金)

高田玲写真展-Black Post-コニカミノルタプラザギャラリーC

モノクロで撮られた都市の風景写真です。

都市を撮るにあたって写真家はどのような態度でファインダーをのぞき込むのでしょうか? そこに繰り広げられる人々の生々しい営為の有り様を写し取ろうとするのでしょうか? それとも多くの人間が怨嗟のまなざしで見つめてきた、その視線の堆積の厚みを撮ろうとするのでしょうか? 見えるものをありのまま撮るのか、それとも見えないものを撮ろうとするのでしょうか?

おそらくカメラをカメラを構えるためには観察者でなければならず、良き観察者であるためには社会学者や歴史学者の素養が必要かもしれません。それでは今回の写真展の作者は何系なのでしょうか。少なくとも文系ではないようです。

例えば新宿駅西口、小田急ハルクへ向かうペデストリアンデッキのエスカレーターから、小田急デパート本館を写した写真があります。見慣れた、というよりは見飽きた風景ですが、この写真家が撮ると立派な作品になります。これは正直私にとって驚きでした。

それはこの作家のコンセプトの揺るぎなさによるものです。その透徹した視線で写す写真はありふれた景色にまったく新たな光を当てます。

作者は都会を織りなすテクスチャーと言うべきものに注目します。海や砂漠に刻まれる波紋や砂紋に似ているようです。人間が都会を造ろうとしたとき一体何をするのでしょうか? タイルを敷き、柱を並べ、煉瓦を積みます。都市を造るということはその冗長な繰り返しです。

その冗長さは設計者の天才的な手腕により幾何学的美しさをもつことがあるかもしれませんが、そのほとんどは四角い箱の積み重ねに過ぎません。まさに都会の画一的な殺風景さであり、少なくともまともな写真家ならば被写体として選ぶことはないと思っていました。

ところがこの作者は斬新な視点で都市を捉え直します。都市という存在はまさに一つの組織体です。その構成要素はある意味多種多様な相転移と見えなくはありません。つまりこの作者は都市の結晶多形とも思える建造物を、一つ一つ丹念に顕微鏡で観察する結晶学者のような姿勢で写真を撮り続けます。

美醜の差こそあれ多くの人を収容する建造物は、それが存在するためには厳密な構造計算がなされているはずです。それは水が凍るときに分子間力で厳密に分子の位置が決定されるのと同じです。もし雪の結晶が美しいのであれば、同じようにどんな没個性のビルディングですら美しさを内包しているかもしれない、と考えても不思議ではないでしょう。

そして見事にその美しさを引き出すことに成功しています。

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濱浦しゅう作品展-霞-kasumi-コニカミノルタギャラリーA

何の予備知識もなくふらりと訪れてみました。会場は作者の簡単な略歴しかなく、入り口のカウンター付近にいた女性(それも知的な感じの美人)を拝見して、女性の作家なのだろうというぐらいのことしかわかりませんでした。

印象に残る作品があります。浴衣姿の女性の写真です。ちょうどその女性の髪越しに打ち上げ花火が光っています。まるでそれは女性のかんざしのようです。または犬の写真。でもよく見るとその犬の鼻のあたりにひび割れがあります。どうやらそれはオオカミの剥製らしいことがわかります。猫の写真もあります。コンクリートの壁に丸まって日向ぼっこをしています。壁際には何かの立て看板があり、その影がコンクリートの壁まで伸びていて、その形は十字架です。あるいは窓からの風景。ガラスに結露した水滴越しにはアパートのような建物がぼんやりと移っています。その窓ガラスを汚すような黒いしみ。水滴というよりはガラスから浮き出た水泡のようなこのしみはいったい何なのか? よく見てもわかりません。

これらの幻想的な写真は、全て銀塩、モノクロの写真です。粒子の粗いアンダー気味の写真は今の風景を撮っているようで、かつてあった風景、かつて見た風景を、時間を遡りながら撮っているように思えます。

「霞」という題名通り、霞に澱み始めた在りし日のイメージ、心象風景を何とか捕らえようとしていることがわかります。それを再生するために、例えば多重露光のような安易な技巧を弄しているように見えます。しかしながらその多重露光と思わせる写真について言えば、窓ガラス越しに撮った写真であり、反射光がガラスに映り込んだのだということわかります。つまり安易なテクニックは排し、写実という意味で一番ベーシックなフォーマットの撮影法に従っています。

フィルムに露光し、印画紙に焼き付けるという行為というのは、結局のところ現実に対する明喩にすぎないのかも知れません。山を撮れば、あたかも山のように写るわけですし、海を撮れば海のように撮れるわけです。さらにこの作者は言わば下絵とも言うべき明喩的な写実に対して、暗喩としての心象風景のイメージを重層的に重ね合わせていきます。下絵をなるべく写実的に描かなければ、上塗りの部分も生きてこないに違いないでしょう。

つまりこの作家はイメージの重ね塗りというべき作為に極めて意識的であるといえます。職人のような作業の丁寧さ、律儀さ、そして確実さにより心象風景としてイメージを浮かび上がらせようと試みます。そうしてその翳りのある記憶が内面的な美しさを保ちつつ、ゼラチンペーパーの上に蘇らすことに成功しました。

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2009年2月 8日 (日)

織田健太郎作品展-confrontations FOTO PREMIO-コニカミノルタプラザ ギャラリーB

私は駅から会社まで歩いて十分ほどの距離、地下街を抜けるのが一番の近道ですが、雨の日以外はほとんど通らないようにしています。朝の地下街は殺風景で、行き交う人の気の重さが狭い空間の中で増幅され、共鳴されるようで気が滅入るからです。

この作者はそのウンザリするような「往来」に着目し、ユニークな方法でその往来の人々の表情を撮り続けました。

私鉄沿線の駅、それも都心からそれほど遠くない駅、商店や家が密集しているような駅ですら、その細い道を縫うようにしてバスが走っていたりします。ほとんど軒を接するようにしてバスがすり抜けていく光景はそんなに驚くようなことではありません。そしてこの写真家は、ギリギリまで接触する人とバスに注目しました。

バスの車窓からのスナップ写真、というのはつい最近見た高梨豊の近作でもありました。

確かにバスに乗るということにおいては似ています。しかしながら目指すものは違っています。この作者の関心はただ一つ、人の表情です。彼はバスに乗り車窓から至近距離にいる往来の人々の表情を撮りました。この車窓というのが絶妙で、「上から目線」なのですが、それゆえに通りすがりの人と視線を合わすことなく、その人の表情を撮ることができます。

当たり前かもしれませんが、人の表情を撮る方法というのは二つあります。一つは写真を撮ることを被写体となる人に明示することです。そしてもう一つは明示しないで撮ることです。明示的に写真を撮る場合、人々は表情を作ります。それは鎧を着ることに他ならず、生身の表情は失われてしまうだろうと思われます。

人の生身の表情というのはどういう表情なのか、そのために非明示的にシャッターを押すというのも写真家であれば当然の欲求だと思います。この写真家は後者の方法を選びます。

ただし往来の人たちはおしなべて無愛想に見え、ウンザリしているような、これからのことに何となく不安を抱いているように見えます。職場に向かうのか、学校に向かうのか、それとも家に帰るのか、買い物に出かけるのか、人に会いにいくのか、行き交う人々の内面は個人それぞれで画一的とは思えませんが、外見からうかがい知ることができない、ということがわかります。

たぶんそんなものだろうな、と妙に納得したりするのです。おそらく私自身、彼の写真の被写体になっても不思議ではなく、今後もそうやって往来を歩き続けます。往来というものがどんどん無機質になっていき、地下通路化していうという現象が確かにあるかもしれません。けれどもこの写真家の方法論なのか、都市という現在なのかはわかりませんが、感じるのはある種の徒労感です。写真に向かってご苦労様と言いたくなりますが、それはこの写真家に対してなのか、それともこの写真に写っている人たちなのか、たぶん両方なのでしょう。

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2009年2月 2日 (月)

桑原久美子写真展-いき-新宿ニコンサロン Juna21

私が始めて一眼レフのカメラを手にしたときの感動と失望は今でも鮮明に覚えています。ファインダーを覗き、シャッターを押すと、甲高いようで重々しい、腹に響くようなそして官能を微かにくすぐるようなシャッター音が響き、レフ版が跳ね上がるその一瞬、ファインダーは暗闇に包まれます。それはまさに自分の見ている風景を寸分たがわずフィルムが感光する瞬間であり、自分の見ているその風景をフィルムの感光面にそのイメージを譲る瞬間です。自分の見ている風景をそのまま写しこむために設計された最高の機械であることが実感できるのです。

でも出来上がった写真を見てみると、自分の記憶の風景とあまりにかけ離れていることにがっかりさせられるのです。なぜなのでしょうか。写真の技術がないからと言えばそれまでですが、それにしてもあまりに違いすぎる。おそらく写真に写されている風景が本当で、私の主観が何かを歪めているだけだと考えざるを得ないとしても、その差について釈然としないのです。

だから自分の見えているはずの風景をそのまま、写真に写すことのできるところはないか? そんな風に考えたりします。街の風景を撮って見ようと思います。けれども自分の思っている風景とフィルムに感光する風景の落差が広がっていくばかり、次第に何を撮っていいのかさっぱりわけがわからなくなるのです。

街の風景など無差別に撮っていいわけではなく、カメラを持って街をうろつくこと自体、半分は後ろめたい行為であるわけで、いい風景だからといっていつもいつもシャッターが切れるものではありません。下手をすれば断りもなく写真を撮ったと、怒られる可能性もあるからです。

この写真展は街の何気ない風景を撮ったものです。それは本当に何気なくて、何かの意味があるのだろうか考えてみてもわかりません。そんな風に写真を眺めていて、ふと浮かんでくるのは上に述べたような初めてカメラを構えてみたころの昔の自分です。

この若い作家はいい意味で素人のような含羞があることです。街にちょっと出てみればあふれるほどいい風景はあるに違いありません。でも全部それを撮ることができるわけではありません。風景を我が物とするわくわくする感じとちょっと尻込みする感じが入り混じったものが写真に現れているように思えるのです。

この写真家はこの感性を持ち続けるのか、それとも大成してずうずうしく写真を撮ってしまうようになるのか。そんな風になってほしくないような気がします。

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2009年1月31日 (土)

高塚陽一写真展-囲人-エプソンイメージングギャラリーエプサイト ギャラリー2

JR飯田橋駅のホームを撮った写真があります。道路を跨いでいる高架のホームを遠景から撮った写真ですが、なぜかそのホームに一人ぽつんといる男に視線が行きます。なぜその男に視線が行くか、よく見るとその男がいる周辺だけ、淡いトーンではありますがカラーになっていて、その男から遠ざかるにつれてその色を失っていくように処理されていることがわかります。つまり白昼の写真ではありますが、そこにスポットライトが当たるようにして視線が集中するように演出されているのです。

その反対の写真もあります。場所は渋谷109の交差点。建物の壁面には大きくウインドウズ・ビスタの広告。手前には初老の苦虫を噛み潰したような男の顔が映っています。カラーで写っているのはビスタのロゴ。初老の男はほとんどモノクロです。

ギャラリーの性格上少なくとも出力はデジタルでなければならないのでしょう。そして会場の挨拶文によるとそのデジタルの良さを引き出そうとしたと述べています。実際デジタルの威力をさりげなくではありますが、十二分に引き出した写真です。

「囲人」(作者自身の造語)というタイトル通り、何かに囲われてぽつんと孤立した「個」を被写体としています。その一人一人はうなだれていたり、うつむいていたり、重い荷を背負っているかごとく苦しげであったり、険しい表情であったり、茫然自失の表情を浮かべていたりします。

遠景の、たとえば歩道橋の上から見下ろしているような写真が多いことに気がつかされます。そこに写っているのは一人か二人、彼らは歩道に敷き詰められたタイルの模様や横断歩道の白い線に仕切られていたり、誘導されています。人や車が多く往来する場所と思われますが、撮影された時間はがらんとしていて、それらの白い線は意味をなしていないように思えます。そして人々はそれに逆らうか従うかの選択に迫られていて、戸惑っているようにみえます。過剰に何かを強いている社会が「個」を孤立させている構図です。

例えばとある広場を撮った写真があります。俯瞰の視点で。右上に写っているのは小さな女の子、左下に写っているのはサラリーマン風の男。広場はタイルが敷き詰められていて、彼ら以外には誰もいません。二人を隔てるのはタイルの文様で白い線のように見えます。つまり小さな女の子のイメージである彼岸とサラリーマンのいる此岸を決して越えられないように隔てているように思えます。

不思議な静謐感を感じさせます。デジタル写真特有の抜けた明るさがあり、それを抑制するかのように淡い色使いで処理されています。

この作家の経歴を拝見しますと、写真家のほかに牧師さんをやられているとのこと。なるほどと納得しました。

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2009年1月26日 (月)

高梨豊写真展-光のフィールドノート-東京国立近代美術館

高梨豊の回顧展を東京国立近代美術館まで行ってきました。金曜日に限り開館時間が夜の八時まで延長されていて、私のような勤め人にはありがたい限りです。夜の美術館というのは静かで気持ちがいいものです。作品を観たのちの高揚感をそのまま、皇居をランニングする人たちをすり抜けながら、光あふれる丸の内のオフィスビルの中に戻っていくというのは何か遠い旅を終えたような疲労感がわき起こってくるようです。

氏の膨大な仕事の中で今回展示されているのは、日本の風景写真、特に東京を中心とした風景写真です。氏が写真の仕事を始めた1960年代から現在まで、日本の、東京の風景がどのように代わり、そして氏が何を視点として写真を撮り続けたかを俯瞰できます。

作品の多くが、撮影された場所、時間を題名としています。40年間という長い歴史の中で、方法論という意味で新しい地平が切り拓かれ、写真を撮ることがある意味幸せだった時代から、デジタル化の波を被り、その手法が多様化する時代まで、氏はその時代時代の柔らかな視点で、手法も大きく変えながら撮り続けています。

それはライカのコンパクトカメラであったり、6×7の大型カメラであったり、モノクロであったり、カラーであったり、銀塩写真であったりインクジェットの出力だったりするわけです。

私自身同時代を過ごし、被写体となった風景に人生をある程度重ね会わせることができます。例えば『新宿区伊勢丹 1965』という写真があります。玩具売場のスナップショットであり、家を模した白い箱の中に値札をぶらさげたバービー人形があり、その家の窓から覗いている少年はたぶん私である可能性はゼロではありません。

または『千代田区地下鉄二重橋駅 1983』という写真。地下街を制服を着て歩いている一団の若い男達。一様に不安そうな表情を浮かべているのは私と同年代の新入社員であります。

その一方でどうも合点のいかない写真もあります。『中央区京橋テアトル東京 1978』と名付けられた写真は題名通りテアトル東京の風景を写した写真です。スクリーンに映されている映画は絶対に「2001年宇宙の旅」という映画に違いなく、実際私は父親に連れられてこの映画を観に行ったのですが、私の記憶と時期が合いません。そもそも1978年までテアトル東京はあったのか? 私の記憶の何かが間違っている(スクリーンに映っている映画は違う映画かも知れない)ことは確かですが、この作品展の写真を見続けているとちょっとした記憶のズレ、迷宮に迷い込んだ感じ、記憶のヴァーティゴといったらいいのでしょうか、そんな感覚にとらわれます。

例えば1980年代に撮られたという新宿ゴールデン街にある飲み屋の内部を撮り続けた写真があります。それは1960年代といってもいいし、2000年代といっても存在可能であり、観ているものに時間的な感覚を失わせます。同様にさらに80年代に撮られた『都市の貌』、90年代に撮られた『地名論』など、それは時代に流されそこなった風景です。

もの凄い勢いで都市の風景は変わります。あっというまに昔の町並みは更地にされ、新たに画一的な商業ビルが建てられます。一度建てられるとその昔何があったのか、すぐに忘れてしまい、思い出すことも難しくなります。我々はその程度の記憶しか持ち得ていないことに気がつかされます。

多くの作品の中で異彩を放っているのは、『都市へ』という作品でしょう。1960年代に撮られた写真は、当時の政治的な風潮があり、この作家も影響を免れることはできません。端正な写真が多い中で手法がこの作品だけ際だっています。荒れた粒子のモノクロ写真は火力発電所であったり、造成地であったり、高速道路の工事現場であったりします。その全てにおいて水平線ですら定まらず傾いているこれらの写真は、周辺に荒涼たる風景を拡大再生産させることでしか都市は成立しないんだというこの作家の明確な主張があります。

政治的なユーフォリアの元に作られた作品というのは、その熱狂が過ぎ去り、あれはいったい何だったのかということになってしまえば、単なるステレオタイプを作っただけということになりかねないとも思われます。しかしながらこれらの写真が時を経てもなお輝きを失っていません。それは氏が以降、現代に至るまで『風景』に対するアプローチ、それは色々な表現形態を変えていますが、普遍の姿勢を保ち持ち続けているゆえだと思います。

恐らくあの時代と現代で危機的な状況はまったく変わらないでしょう。何十年かの未来、例えば六本木ヒルズや、東京ミッドダウンが老朽化し、取り壊されるという事態になっても、文化的遺産としてそれを保存しようとすることはないと思います。話の本筋から逸れてしまいますが、戦後建てられたいろいろな建造物で歴史的遺産として残されていくものがどれくらいあるのだろうかと考えてしまいます。みんなの憧れ都心の高層マンションだって時が経てば単なるコンクリートの箱に過ぎず、文化的な意味が残るのでしょうか。たぶん東京タワー以外に残らないのではないかと思ってしまいます。そんな風に考えていくと東京の風景というのは絶望的なような気がしてきます。

けれどもそこは40年間街を撮り続けたこの作家のこと、単眼的な批判的視線で撮り続けているわけではありません。それらの商業ビルがたとえ惨めに朽ちてしまったとしても、それはそれで「撮り頃」の被写体になるかもしれませんから。

2000 年代に入って『囲市』という作品は移ろいゆく現代の状況を見事に表現しています。古い建造物が破壊され、新しいものが建てられるとき、防護壁という名目で建設現場を覆います。その殺風景な防護壁が景観に悪影響を与えると思ったのか、施工主はその防護壁にペイントを施します。そのペイントに私自身も何となく違和感を覚えていたのですが、その奇態な防護壁や、その防護壁を囲うことによって新たに生まれた建造物をインクジェットプリンター出力で写し出しています。都市の畸形としか言いようのない景観ですが、それもまた都会としかいいようがありません。

恐らく風景というものに関心を持ち(それを写真に撮るか撮らないかは別としても)、あるいは単純に街を歩くということを趣味としてる人たちにとっても、一つのオーセンティックな視線という意味で、心にとめておかなければならない写真です。

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2009年1月22日 (木)

茂手木秀行写真展-海に名前をつけるとき-コニカミノルタプラザ

好きな写真が何枚かあります。例えば一見すると暗い霧に覆われた写真です。何も写っていないのかとよく見ると、そこに船の灯りがぼんやりと写っています。その光は弱々しく、はかなげです。

あるいはうち捨てられた難破船の写真も好きです。これから海中に沈んでいくというよりは、白いスープのような海に浸食され、飲み込まれていくように思えます。

作者自身の案内文によると、全ての写真はポラロイドフィルムを使用しているそうです。減光フィルターを通じて光量を落とし、それを補うように長時間露出で撮影し、最新のデジタル技術を駆使して銀塩ペーパーにプリントアウトしたとのことです。ポラロイド写真というとトイカメラのようなチープな原色の写真を思い浮かべてしまいますが、モノクロで撮られたこれらの写真は、驚くほどの階調、ディティールを表現しています。

作品は乳剤を剥がした縁の部分も含めてそのままベタ焼きのようにプリントアウトしています。それは消えゆく古いフィルムへの惜別のしるしであるかのようです。私はこのポラロイドフィルムがすでに販売中止になっていることをこの会場で初めて知りました。ですからもうこのような写真は二度と撮れないわけで、作者自身すでに新しい作品をデジタルカメラで撮り始めているということが述べられています。

実を言うと、私はこの写真を見ているうちに、昨年同じこの会場で見た長谷川治胤の写真展「clear」を思い出さざるを得ませんでした。確かに両者には共通点があります。先に述べたとおり、一つめはレガシーな写真器材を使って長時間露光の撮影を行い、デジタル処理を通じてプリントアウトしたモノクロ写真ということです。二つめは被写体として海を選んだということです。

ただほぼ同様な手法で取っているにもかかわらず、プリントアウトされた作品はまったく違うと言ってもいいでしょう。

長谷川の写真はハイトーンで、海や空の微妙な階調など飛んでしまっても構わないという若者らしい割り切りがあり、その結果終末感の漂う近未来の世界を表現しました。今回の作品展において、茂手木は海や空のテクスチャーはある程度残しつつ、そのテクスチャーが織りなす幽玄な世界を表現しています。さらに言えば長谷川の写真は動きを止めた静的な写真であったのに対し、茂手木の写真は雲や風や陽の光の動きが写真の中に残されています。

写真展を回り始めて数ヶ月、振り返ってみると写真家があるいはギャラリーの主催者が何をテーマとして、そして何を被写体として選ぶのか、うっすらとではありますが傾向があるような気がしています。ほぼ同じ時期、違うギャラリーで極めて似ている素材、そして表現手法の写真展に出くわすことがあります。それは沖縄であったり、老人のポートレートであったりするわけです。単なる偶然とは言えない、写真家に表現させてしまう社会の大きな流れがあるのではないかと考えてしまいます。

つまりこの二人の作家が被写体としてなぜ海を選んだのか。その疑問が残ります。

おそらく写真というものが発明されてある程度の時間が経ち、数世代に渡って写真を元にした記憶というものが人間のイメージの中に刻み込まれているという中で、写真というものが当初持っていた強力なイメージというものについて、それを再構築しようとする試みが写真家の中にあるのではないかと私は考えてしまいます。だから彼らはレガシーな写真を好むわけです。

我々の海のイメージというものがあり、かつて写真で見た海のイメージがあるはずです。そのイメージのいわばベンチマークという形で生海、生命を育み、その姿をほとんど変えていないはずの海が選ばれたのでしょう。けれどもここにあるのは、微妙な諧調の表現において、あるいはその大胆な省略において、そのどちらにも属さない海のイメージの提示です。そしてそれが作品が成立する基盤となっているのです。

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2009年1月11日 (日)

森山大道写真展-DIGITAL 銀座-RING CUBE

銀座四丁目交差点を見下ろす絶好の位置にあるギャラリーですが、いかんせん平面的な写真を飾るのは円形のフロアーゆえに、写真をディスプレーするとなると色々難しさがあるようです。

今回の展示は湾曲した壁面に写真を直接貼り付けています。目を剥いた女性のモノクロ写真が一面並べられた中に何点か彼のスナップ写真が飾られています。

私はそれらの写真より、会場にぶら下がっていた液晶ディスプレーにスライドショー形式に流れる写真に釘付けとなっていました。会場でプリントアウトされた作品より、はるかに沢山の写真が映し出されていたからです。

その映像は今流行りのハイビジョンですらなく、鮮明さという意味ではデジタルテレビよりはるかに劣っています。それでも次々に流れる映像を見つめていると、彼が撮ったデジタルカメラの液晶画面を直接のぞき込んでいるようなゾクゾクする臨場感を感じます。

今回の写真展、森山が被写体として選んだのは銀座です。個人的には私の勤める会社が銀座の外れにあるところから、これらの写真ほほとんどはどこかで見たような風景です。

おそらく写真が撮られたのもつい最近、年末にこのギャラリーで開かれた彼の写真展を撮ったとおぼしき写真もあり、銀座四丁目を中心として、昭和通りから有楽町のガードしたあたりまでの範囲のスナップ写真です。

作者自身、今まで新宿をホームグラウンドとして、銀塩カメラで撮り続けてきたけれど、銀座という街を撮るにあたってはデジタルカメラこそ相応しいといった説明がなされています。

確かに写真を見ていて感じるのは、銀座という街は蒸留された感じの街なんだなということです。路地裏に回ってみても、この街を貫いているはずの欲望の、その残渣すら積もっていないようで、ある意味では不思議な清潔感を漂わせた街です。

おそらく新宿に代表される街、その街を撮ろうした場合に不可避に写り込んでくる澱のようなものがあるはずす。そしてその澱を積極的に写し込もうとした場合、それを露光し、現像し、定着させる、それらの工程の途中で、どちらかという毒性の高い薬剤をくぐらせる必要があるような気がします。

ところが銀座というのはそんな解毒処理というか、秘儀的、呪術的な薬剤処理をしなくてもいい、つまりデジタル処理のままで表現できる街のようであることは確かです。

だから私が彼と同じリコーのデジタルカメラを買って、彼と同じように銀座の街を歩き回ったら彼のような写真が撮れるのか? 無理とはわかっててもその誘惑に勝てそうにない気がします。

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2008年12月28日 (日)

石内都写真展-ひろしま/ヨコスカ-目黒区美術館

写真には絶対に写らないもの、写らない「主体」を写そうとするのが写真家だという仮定に立てば、そのために写真家は何を試みようとするのでしょうか。その答えの一つとして、その「主体」の「周辺」に存在し、「主体」との関連性が明確で、かつ被写体として写るものを写すしかありません。

その「主体」と「周辺」の関係はある時は被害-加害の関係にあるかもしれないし、主人と奴隷の関係かもしれないし、あるいはお互いまったく無頓着でいるかもしれません。

はっきりしているのは、「主体」と「周辺」の関係で、先に「周辺」の方が朽ちたり傷ついてしまうことがあるし、その逆に「周辺」のみが生き残ってしまうということがあるということです。存在の時間は両者でぴったり同じであることはむしろ稀であり、たいていの場合は両者の存在に時間的なズレが生じてしまうのではないでしょうか。そしてその時間的なズレが一つの裂け目のようになって、「主体」そのものが晒されることがあります。

私がこの作品展を見て感じたことの一つとして、この写真家が両者の時間的なズレについて極めて鋭敏であり、かつ意識的であるということです

例えば<アパートメント>と呼ばれる彼女の初期の作品群があります。荒れた粒子のモノクロ写真のそれは、まったく先行きの見えない感じの暗いトーンで、1970年代後半の古びたアパートの写真を撮った作品です。その古びて朽ちたアパートは、おそらく空き屋となってしまったら三日と持たずに崩れ落ちてしまうような建物のように思えます。つまりそこに住む住民の息遣いでようやく存在しているかのようです。つつましいながらも健気に抱き続ける明日への希望かもしれないし、その日を何とか暮らすことができたという安堵感かも知れません。あるいはその住人は零落して鬱屈しているのかもしれないし、捲土重来を期して熱く情念を燃やし続けているかもしれません。

次にこの作家はその「主体」に一番近接している「周辺」、つまり皮膚に眼を向けます。<SCARS>および<INNOCENCE>という作品群です。この「主体」と「周辺」の関係性についてよりはっきり明確なものとなって撮られています。これらの作品では肉体に残されたメスの跡、ケロイド、畸形を写し続けます。傷跡は「主体」までも傷つけているのか、恐らく被ったはずの痛み、傷跡ゆえに失うであろう幸福への絶望、他者への妬み等々、「主体」と傷ついた皮膚という「周辺」の軋みを余すところなく写し出しています。

それでいて例えば傷跡の残る女性の裸体の写真は、神々しくさえ見えるところにすばらしさがあります。肉体は朽ちたり傷ついたとしても、決して傷つかない主体がそこにはあるのだという、作者の願い、そして被写体となった人たち自身の存在の力強さが伝わってきます。

白眉は最後のブースに展示されている、<Mother's>と<ひろしま>という作品群となるでしょう。特に私は<Mother's>という作品には深い感銘を受けました。

この作品は亡くなった母親の遺品、および母親が被った傷跡を撮ったものです。母親が遺したと思われるペチコートを撮った写真があります。その写真は透明な肉体がそこに宿っているかのように肉感的に浮き上がって見え、仄かにエロチシズムすら漂ってきます。

生身の人間としての母親、そしてかつて持っていたであろう性的な魅力を持った存在へ蘇らせる試み。こんな撮り方ができるのか、そして許されるのか? 恐らく男では絶対撮りようのない撮り方だと思います。それゆえにと言っていいかもしれません。遺品という生き残りの「周辺」、その隙間から熱く浮き上がってくる母親の、そしてこの作家の「主体」、私はそれに衝撃をうけていました。

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2008年12月19日 (金)

エマニュエル・リヴァ写真展-HIROSHIMA 1958-銀座ニコンサロン

フランス人女優が撮った写真展です。1958年夏、アラン・レネ監督の有名な映画「24時間の情事」の撮影のために来日し、その合間に撮りためたというスナップ写真です。

彼女自身が保管していたフィルムが、50年の時を経てニュープリントで甦りました。この写真展のもう一つの目玉がリプリントの技術的なすばらしさであり、モノクロプリントの美しさでは最近見た写真の中でも最上級の部類に入ると思います。

被写体となっているのは当時の広島の風景に加えて、広島の人たち、特に子供の写真が中心となっています。写真が撮影された1958年というのは戦後13年、灰燼と化したはずの町は見事に復興していて、少なくとも写真の上からはその傷跡が残っているようには見えません。

子供達の屈託のない笑顔が印象的です。戦後日本の写真、特にその時代の人たちの表情を見ることは現代にとって癒しになっていると思います。現在と比べて決して幸福であるとは思えないにもかかわらず、その笑顔は現代人より輝いて見えるからです。

それは現状は貧しくあっても、未来に対する不安が現代より少ないという、ある種の楽観からくる逞しさでしょう。

語弊を恐れずに言えばHIROSHIMAという政治的社会的に手垢のついた街で、この写真家はそこに住む人たち、特に子供たちの素顔を中心に写真を撮ったこと、その素顔に迫ったことが現代にとってきわめて意味のある写真になっていると思います。その視点の確かさが50年という時間を飛び越えて輝きを失わせない作品の力となっています。

私はこの写真を見ながら、先日ラジオで聞いた話を思い出していました。その話というのは、死んだペットのために年賀状を欠礼し、喪中はがきを出す人がいるという話です。

てっきり若い人の間で行われていると思っていたら、60歳過ぎの年代の方もいらっしゃるそうで、ペットのことを「戦友」と記しているとのことです。

60過ぎの方であれば、この写真展に写されている子供たちと同年代であるはずです。50年の時間を経て、屈託のない笑顔をレンズに向けていた子供と自らのペットを擬人化している老人とと同じ人物である可能性も否定できないわけです。

そんなことを考えていると、戦後という繁栄というものはなんだったのか、平和でありながら結局人々を疲弊させ孤立に追いやってしまった闇の部分を見てしまったような気がします。

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2008年12月18日 (木)

森山大道写真展-物質的誘惑-RING CUBE

銀座4丁目交差点に面したビル、エレベータに乗り合わせた若い女性の肩越しに9階のボタンを押すと、彼女はこのビルの来訪者としては相応しくない風体の私に怪訝な一瞥をくれたかと思うと、エレベータの壁にある掲示板をちらっと見て、そのまま三階の美容室で降りました。その掲示板に挟まれているのは「森山大道写真展 『物質的誘惑』」のチラシ。

私にとって胸がキュンとなる写真があります。それは野球場のグラウンドを撮った写真です。トンボで整地されたフィールドには、コンパクトカメラを片手で撮る彼独特のスタイルの影が写り込まれています。彼が写しているのは四角いベース。それは神々しいほどに白く輝いていて、何十分の一秒の時間差を奪い合うそのボールゲームが行われたスタジアムのざわめきが聞こえてくるようです。

今回森山が選んだ風景は無人の野球場、プール、サーキット、スキーのジャンプ台などの競技場です。モノクロ写真の荒れた粒子の一つ一つに、ちょうどウィルソンの霧箱が宇宙から飛来する放射線の軌跡を捉えるように、その競技場にこだました歓声、行き交う視線、そして選手達の息づかいが刻み込まれています。森山が現像、引き延ばしの過程で味わったと言う、彼の表現を借りれば「物質化」されるそのありさまについて、観る者が追体験するかのようにして会場の写真を追いかけていくことになります。

会場は丸いビルの構造そのまま、写真展を開くのに適しているとは思えない回廊のような形をしています。行く手を塞ぐように吊された写真の間を行きつ戻りつし、思いつくままの言葉をメモ書きをしていました。私は森山大道のことを語ることができる幸せを感じながらも、同時に語り尽くすことはできないだろうというもどかしさを感じていました。

この手のギャラリーとしては珍しく、一角が窓になっていて、銀座四丁目の交差点を見下ろすことができます。眼下にはクリスマスの賑わいの人ごみやネオンサインが見えます。不思議なことに会場を訪れる人は私の他に誰もいません。おそらく日本一の繁華街の真上で私一人、軽い孤独を味わいながら森山大道の写真を独占できる幸せ、そしておそらく彼の写真を観るのにこれ以上の環境は得られないだろうという贅沢さを味わっていました。彼が無人のスタジアムで押したシャッターの音を聞き、乳白色の乳剤に露光する瞬間、ファインダー越し彼が垣間見たかもしれないスタジアムの熱気を見ていました。

雨の銀座、水曜日の午後七時。それは奇跡のような体験のようでした。

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2008年12月11日 (木)

第10回三木淳賞受賞-西村康写真展-彼女のタイトル-ニコンサロンbis

頻繁に写真展を回るようになって三ヶ月、いろいろなテーマの写真展を見てきましたが、若い女性を被写体として選んだ作品はあまりお目にかかれません。

このことはこの写真展を見る前から、色々な写真展を見るたびに感じていました。

女性を撮した写真は雑誌、インターネットに氾濫していますが、意外に作品展としては成立しにくい題材なのではないかという気がしています。

「彼女のタイトル」という写真展は一人の女性に密着し、その私生活を含めてポートレートを撮り続けたというある意味『労作』です。

携帯電話にも付属するほど普及している写真ですが、簡単に写真を撮ることができると言うこと以上に、写真を撮られる側が明らかに『被写体慣れ』してしまっているという事実も見逃せません。だから一人の女性のパーソナルヒストリーを写真によって描こうとすれば、一筋縄ではいかないだろうなぁと思います。

この作家が被写体として選んだ女性は『被写体慣れ』したプロフェッショナルのようで、彼女のヌード写真もあります。

彼女の火傷で水脹れした手のクローズアップの写真があったりして、現代に生きる一人の生の女性の実像がそこに描かれていると言われればそういう気がします。

同時にそんなこと全て込みの、写真家とモデルの共犯関係に基づくフィクションかもしれないという疑念も浮かんできます。傷つき悩むんだ女性の波乱の半生、いまどきのケータイ小説もどきのドラマを考えていたのでしょうか。

正直に感想を述べますと、私はこの写真を観た後、何かしらの徒労感に襲われました。

この私の徒労感は例えて言えば、街の灯やネオンサインにかき消されて本来の星が撮れなくなっている天体写真家が、街の灯りやネオンサインを撮り続けることにより、その遙か向こうの星を浮かび上がらそうと努力している写真家の徒労感に似ているかも知れません

もっとも私が徒労感を抱く対象はこの写真ではなく、実際の被写体に対してなのかもしれませんが。

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2008年12月 8日 (月)

第33回伊那信男賞受賞-平敷兼七写真展-山羊の肺 沖縄1968-2005年-ニコンプラザ新宿

題名が「山羊の肺」と知って、ポストモダン小説の題名のようだなと勝手に連想してしまった私ですが、そんなイメージとはおおよそかけ離れた写真展です。

確かに山羊の肺を写した写真があります。ちょっと見てそれが何なのかわからないグロテスクな形をしています。山羊を常食としてきた沖縄の人々にとって、その奇妙な形の臓器は、長い歴史の中であらゆる負の面を剥き出しにされてしまったひとつの象徴なのかもしれません。

沖縄を題材とした写真展は比較的多いと思います。沖縄の風土、歴史、自然、そしてそこに住む人たちの表情など、写真家にとっては極めて魅力的な題材です。ただ沖縄をテーマにした中でも今回の作品展は出色と言っていいかもしれません。ここに写されたものの重さにおいてです。

衝撃を受けた写真があります。大きな穴にたくさんの人骨が放り込まれた穴の写真です。写真の題名は『海洋博のために合同墓地を移動させられる』です。よくよく見回すと墓にまつわる写真が他にもあります。『石油基地建設のためにこわされた墓の内部 石棺と鍾乳石の長さで歴史がわかる』、そして『墓の移動』と題された写真。

たくさんの墓を作らなければならなかった悲劇、そして誰かの都合によって絶えず移動させなければならない悲劇。しかもそれは戦争だけではないということ。語り尽くすことができそうもない、胸をかきむしられるような歴史の重みを感じます。

作者は1948年、沖縄生まれの沖縄育ちです。沖縄に腰を据えて40年もの間、写真を撮り続けてきました。決して広くない会場で、びっしり二段に展示された写真は、大まかにわけて三つ、すなわち本土復帰前後の世相を写した写真群、沖縄の人たちを写した写真群『渚の人々』、それから「職業婦人」と呼ばれた娼婦たちを写した写真群『「職業婦人」たち』に大別されます。

すべてモノクロ写真で撮られています。モノクロという成熟した技法で写真を撮り続けることにより、40年という年月を通じて揺るぎない視座を確保しています。これは決して生半可にできるものではなく、驚くべきことです。

被写体となる世界は時を刻んでいきますが、同時に撮影する主体の方も40年の時代を経て変わっていくはずです。ところがこの作家は撮り手としてはまったく揺らぎのない視線のもとで写真が撮り続けています。この驚異的な持続力、それこそ写真という表現媒体が歴史を語ろうとした場合必要なる一つの与件、すなわち作品の力だと思います。

写真の説明をするためには、私の拙い描写よりこの写真につけられた題名を書き下した方が早いかも知れません。題名は時に長文になります。一例を挙げると『双子を生み一人は家族にとられもう一人をとられまいと逃げ回っている女性 那覇 1976』(母親というよりはあまりに幼い女性が子供抱えている姿が切ないです) 『ゴルフ場近くに三角小屋をつくって住み夜になると池に落ちたゴルフボールをひろい、また池のカエルを食べにくるハブをとらえて売り生計を立てている 具志頭 1988』、『泊まり客の場合客が寝ている間に我が子が学校に行く支度をする それからまた客の側にそっと寝る 泉町 1970』、『好きな男が女の所から出てくるのを朝まで待っている女性 南大東  1970』

『渚の人々』に見られるように底辺の人たちに対する作者の暖かいまなざしを感じる一方で、『「職業婦人」たち』では彼女たちの裸体の写真もあったりして、冷徹な観察者としての視点も感じさせます。決して単眼的ではない社会を見つめる眼の確かさがあります。

現代の写真というのは、テクノロジーの発達を経て、そのテクノロジーを自家薬籠の物とすることにより新しい表現を得てきましたが、その結果到達した地点はいったい何だろうという状況に来ているような気がします。

多くの写真展の会場に飾られる作品は、現実を写しているようであって現実でない、むしろその写真家の恣意的な映像表現だと割り切ってしまえばそれまでです。その一方で写真が犯してきた詐取的な行為は、氾濫するインターネットや雑誌の中でおそらく頻繁に行われているはずで、写真を見る側にそういう疑念を抱かせるほど取り返しのつかないところまで来ていると思います。

この作家はひたすら社会を撮り続けたことによる歴史の重みと、被写体である沖縄の歴史が重なりあったことによって、写真が犯してきた行為から免責されているのです。

しかしながらこの作家が獲得したものは今後引き継がれていくのでしょうか。ヒストリカルなアーカイブとして本来存在すべきであった写真という描写の力強さというのは写真という表現媒体の中に残っているのだろうか? ひょっとしてこの作家の成し遂げたことは一つの奇跡なのではないか? そんな疑問が浮かんできたのも事実です。

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2008年12月 7日 (日)

井村和人写真展-vanishing_view 2008-エプソンイメージングギャラリーエプサイト ギャラリー2

私は写真展の頻繁に回るようになってたかだか三ヶ月。訪れる写真展の作家について前もって知識があることはほとんどありません。そこにある写真と見つめ、その写真家が企んだものを引っぺがそうといつも苦闘しています。

何かいい写真展がないかと、写真雑誌やインターネットで探したりしますが、解説はなるべく見ないように、言わば徒手空拳で会場に訪れることにしています。それが私の写真の見方と偉そうなことは言えません。なにしろそれ以外に私に方法はないのですから。

だから会場の中で、作者自身の挨拶文であったり、写真のキャプションであったり、そのような情報が一つの頼りとなります。語ることに積極的な作家もいますし、何も語らない作家もいます。

今回訪れたこの作品展は、作者自身の経歴も、挨拶文も、写真のキャプションもありません。素っ気ないと言えば素っ気ないですが、そこにある写真から全てを見なければなりません。見る側の自由に任せられるということでしょう。だから私自身大胆な解釈をしても容認されると思います。

撮影場所は都心近郊の住宅地です。比較的最近に開発された感じのマンションや一戸建てがあり、それを囲繞するように畑や山林が残っている、そんな風景を撮ったものです。

ハイキーなトーンでマット調のプリント用紙にプリントアウトされた風景は、明るい太陽の下の写真がほとんどで、白日夢というか、軽い非現実感が漂っています。この風景を被写界深度の極めて浅いレンズで撮影してます。ピントの合った所だけが周りの風景から不自然に浮かび上がっていて、書き割りの舞台装置のような感じがします。

この作家は舞台となった新興住宅地を”うろつき”ます。その視点は明らかその町にとってアウトサイダー、そして残された自然の中からの視点です。

明らかにこれら写真は一つの流れがあるように思えます。会場のどちら側から見るのかによってその流れのストーリーは変わります。最初に林の中から出てきて、住宅地の中をさまよい、最後にコンビニエンスストアにたどり着くような流れ、あるいはその逆でコンビニエンスストアに立ち寄った人間が、さまよい歩いたあげく、林の中に消えていくという流れ。

視点の主は恐らく野良猫や野良犬かもしれませんし、近隣にたむろするホームレスかも知れません。林の中に潜んでいた視点の主がコンビニエンスストアに行くストーリーか、あるいはコンビニエンスストアに立ち寄った視点の主が、林の中に消えていくストーリーか。

題名はvanishing_view 2008ということ考えても、明るい太陽の下、生活に疲れ果て住む家も失った人間が、最後の金をコンビニエンスストアで使い果たし、森の中に消えていくということでしょうか。

そんな不穏さを感じさせる写真展です。

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2008年12月 2日 (火)

永沼敦子写真展-虹の上の森-新宿ニコンサロン

日曜日の午前中ことです。私の父親が、買ったばかりのプリンターが初期不良だとのことで、その交換のために町田のヨドバシカメラまで車を出しました。店員と父親の延々とかみ合わない話をただ聞いているのにも焦れて、缶コーヒーでも飲みながら少しの間店の周りを歩いてみようと思いました。かつてこの一角は男一人では立ち寄れないほどのギラギラした歓楽街だったのですが、林立する巨大マンションに押し潰されるように、この数年でそんな店は姿を消してしまいました。

ヨドバシカメラの店の脇を川が流れています。今までただのどぶ川と気にもとめていなかったのですが、EOSやらNIKONやらの一眼レフに長尺の望遠レンズをつけた男の集団が行ったり来たりしている姿に気がつきました。彼らは川にいる鳥たちに狙いをつけています。

実を言うとこの写真家の写真を見て、一体何を書いたらいいのか迷っていたのですが、望遠カメラを持った彼らを見て、なるほどこの女性写真家はなかなかやるもんだわい、とふと合点がいったような気がしたのです。

「虹の上の森」という題名はちょっと不思議な感じがします。虹っていったい何を意味するのか分かりません。この作家は山に行きます。そして山へ行ってスナップ写真を撮りました、と言う写真が並べられています。

その写真の撮り方というのはちょっと古い言葉ですが、敢えて使うとお転婆という言葉が浮かんでしまうような撮り方です。立ったり座ったり、うつぶせになったり、仰向けになったり、のぞき込もうと身を乗り出したり、まぁ落ち着きがありません。せっかく山に行ったのだからと思うのですが、彼女が選んだ被写体というのはそこに訪れる登山者の背中であったり、靴下であったり、もうちょっときれいなきれいな風景が目の前に広がっているでしょう、と余計なお世話を言いたくなります。

例えばワンルームマンションのベランダからの夕焼け雲であったり、上手に塗れたベディキュアであったり、友人と一緒に行ったフレンチだったり、そんな身の回りの風景を撮り続けることにより作り上げた写真世界を、その延長線上でアウトドアを題材としましたという感じがします。決して私はけなしているつもりはありません。極めて私的な風景が完結した仲間内だけに意味があるといった閉鎖性ではなく、グローバル性を持つ表現ができるんだという手応えを持った作家だと思います。

確かに彼女が出かけていった場所というのは、彼女の遙か先輩達が築き上げてきたもう一つの写真世界の牙城であるわけです。高級なプロ用機材をそろえ、山に籠もり、春夏秋冬の全て変化する景色を撮り続ける求道者のような写真家たち。実を言うと私もそんな人たちに憧れを抱いていたりするわけですが、言わば”ネイチャーフォト道”のような厚い壁があるような気もして、素人が簡単に首をつっこめるような世界ではないように思えるのです。

虹と名付けられたのはそんな”ネイチャーフォト道”の対極にいる彼女の写真世界です。その彼女が森という彼らの潜む世界の住人に他流試合を挑んだ、その心意気を感じます。

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2008年12月 1日 (月)

長谷川治胤写真展-FOTO PREMIO 「clear」-コニカミノルタプラザA

写真はそこに留まっている静かな光しか正確に写し取ることはできません。

動きのある被写体は、高感度のフィルムを用い、露光時間を限りなく短くすることにより、擬似的に動きを止めなければなりません。極端に被写体の動きが速すぎる場合はフィルムから消え去ってしまいます。

この自然界において、完全に動きを止めているもの、あるいは常に動いているものからの影響を受けていないものはほとんどありません。風は吹き、陽は傾きます。厳密に言えば写真というものは現実を写しているのかといえば、必ずともそうは言い切れないという疑問が沸いてきます。

我々は生まれた時から写真を見てきているわけですし、それを知らず知らずのうちに現実のものであると受け入れてきました。我々の記憶の中で映像として残っているもの、それは現実を通してなのか、それとも写真というイメージを通じてなのか、極めて曖昧になっています。テクノロジーの進化の影で、その違い、ズレはほとんど意識されなくなっています。ズレがあったところで深刻な社会問題を引き起こすなんてことはほとんどないでしょう。

この若い写真家は海辺に腰を据え、たっぷりと露光時間を取って静かな海の風景をモノクロで撮りました。

記憶の中で想起されるイメージの由来、現実かそれとも写真か、その違い、ズレに対してこの作家は鋭敏な嗅覚を持っているように思います。そして今まであったようで実はなかったと思われる新しい映像を作り出しました。

恐らくクラシカルな撮影法にも関わらず、フィルムをスキャニングし、デジタル的な処理を経てプリントアウトした技法を駆使したからでしょうか。

繰り返しになりますが、写真は動くものと動かないものを峻別します。浜にぽつんと打たれた杭は、何一つ留まることはない世界の中でぽつんと孤立しているような心象風景に結びつけられます。

また長い露光の間に幾重にも押し寄せる波は、乳白色に濁る皮膜のように見え、この世界を覆い尽くす澱のような錯覚を与えます。

私はこれらの写真を見ながら、昔のSF映画のシーンを思い出していました。例えば核戦争の果て、生き残った潜水艦から潜望鏡で浜を覗くシーンが印象的な『渚にて』。あるいは(モノクロ映画ではありませんが)「猿の惑星」の浜辺のラストシーン(リメイク版ではなく、チャールトン・ヘストン主演版)。

写真というものが発明された当時のプリミティブな撮影法で再構成するという、この作家の試みから浮かびあがってくるのは奇妙な終末感です。それは一体何故なのでしょうか。この作家の感性のなせるわざなのか、それとも写真を撮られると一緒に魂まで抜かれてしまうというったような、昔々の人々が写真に対して直感した魔力なのでしょうか。

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2008年11月24日 (月)

米田知子展-終りは始まり-原美術館

(Ⅰ)

原美術館というのは品川から結構歩いて時間のかかる不便な場所にある美術館ですが、若い女性に人気があるようです。時間が悪かったのか、偶然なのか、男一人は私だけ。チケット売り場の女性も突然の私の出現に驚いているようにみえたのは、私の思い過ごしでしょうか。

おそらく大きなお屋敷を改造したと思われる会場の制約なのか、それとも何か意図があるのか、作品の並べ方が変則的に思えました。会場の入口にいきなり初期作品が飾られ、色々な時期の作品が錯綜する形で展示されています。

今 回の写真展について整理して時系列に並べると以下のようになります。初期作品としての「トポグラフィカル・アナロジー」(1996-1998)、トロッ キーやフロイトなど著名人の眼鏡越しにその著名人にまつわる書翰類を見つめた「見えるものと見えないものの間」(1998-2008)、ヒトラーの遺品を 写した「信じがたきものの断片」(2002)、世界各国の歴史上に刻まれた地を訪れた「シーン」(2002-2007)、ソ連崩壊後の東欧を題材とした 「雪解けのあとに」(2004)、および「立ち上がる都市」(2006)、北アイルランドを主題とした「ワン・プラス・ワン」(2007)、そして「パラ レル・ワールド-ゾルゲを中心とする国際諜報団密会場所」(2008)、となります。

初期作品、「トポグラフィカル・アナロジー」を例外 とすれば、この作家の方法論ははっきりしています。気になった写真についてその写真の題名を書き下してみます。「スナイパー・ビュー-クリスチャン・スナ イパーのポジションから中間地帯を望む、ベイルート」「道-サイパン島在留邦人玉砕があった崖に続く道」、つまり私の説明はほとんど必要ありません。この 題名通りの作品です。

ざっと会場を見回して、この写真家はかなり際どいことをやっているな、というファースト・インプレッションを受けま した。上述の「道」という作品について言えば、その題名を知らなければこの写真についての価値を見出すことができないわけです。単に歴史上に名を刻まれた 地点を訪問しての記念撮影、観光旅行のスナップ写真とどこが違うの? という疑念に捉われてしまうわけです。

さらに言えば写真に写真以外 のところに意味を求めた場合、色々な負うべきものが生じてしまいます。例えばなぜパールハーバーでなく、サイパンを撮ったのか、あるいはなぜイスラム・ス ナイパーの視点でなく、クリスチャン・スナイパーの視点なのか、撮ったもののみならず、撮らなかったものまで、写真以外の雑音が生まれます。

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2008年11月18日 (火)

ERIC写真展-中国好運 GOOD LUCK CHINA-銀座ニコンサロン

中国全土を旅し、街や市場など繁華街を中心にそこに集まる人たちのポートレートを撮り続けた写真展です。

この写真家は香港生まれ、現在は日本を活躍の場としています。香港時代の彼は「西洋化した自分」という自意識から中国本土の人間を見下していたと言っています。そんな彼ですが、彼の母親は中国から密入国者とのこと。彼が自ら写真のテーマを中国としたところ、その写真にどのようなトーンになるか、興味があるところです。

実際のところ、被写体としての彼らをこの作者は突き放して撮っているように思えます。例えばオートバイにまたがって格好をつけているオジサンのポートレートがあります。オジサンはなかなかいい面構えなんですが、何故か被っているヘルメットがピンク色です。同じくオートバイにまたがっているカップルの写真があります。後ろに乗る女性は美人のように見えるのですが、男のめがねの片眼だけサングラスだったりします。ただそれを単純に笑っていいのか、そう簡単に笑えません。

この写真に登場する人たちは総じて垢抜けていなくて、洗練とか繊細さなどからはほど遠い人たちのように見えます。そんな彼らは西洋を真似ているのではなく、西洋化した日本人や香港の人たちを真似しているように思え、何か面映ゆく思えてきます。

激動の時代を生き抜いてきた逞しさもあるようにも見えるし、また消費文明にどっぷり使ってスポイルされてしまったひ弱さも見えます。つまり西洋化という熱病に冒されて、見た目は元気でも何かが根腐れしているような、妙な危うさが漂っているようです。

それは良いことなのか悪いことなのか、西洋化の先輩である日本人や香港人の立場からでは何も言えないのでしょう。良いことばかりじゃないけれどネ、とただ表題通り、GOOD LUCKを言うぐらいしか。

写真は会場の壁に三段にぎっしり並べられています。一枚一枚を丹念にその写真を眺めるというのも間違いではないでしょうが、一歩退いて、この「群像写真」全体から発する中国という原色の熱気を感じるというのが、正しい見方なのかもしれません。まさしく中国人の熱気、そしてこの写真家が中国を撮り続けるという熱気、それらが互いに共鳴したものを感じることができます。

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2008年11月11日 (火)

蜷川実花展-地上の花、天上の色-東京オペラシティーアートギャラリー

私が蜷川実花の写真を最初に見た頃を思い出すと、何故かガングロ・ヤマンバギャルたちが街を闊歩していた頃のイメージと重なり合います。どちらかというと私は彼女らの登場に眉をひそめたクチですが、別の意味で彼女たちに一定の評価を下していました。

彼女たちの登場までは、ファッションというのは対男性とかあるいは対西洋とか、相対的なものを意識することによって成立しなかったのではなかったのでしょうか。そんな時代で、誰に踊らされることもなく(例えば大手資本)初めて自らの美意識(それが彼女たち以外の誰も共感し得なかったとしても、あるいは共感されないことゆえに)のみでファッションを成立させたのではないかと考えていました。

私が彼女の写真を初めて見たのは今回の展覧会でもメインに展示されている花の写真だったと記憶しています。それまで私にとって花の写真と言えばメイプルソープの花の写真でした。センセーショナルでどちらかというとスキャンダラスな写真家と思っていた彼の花の写真は、極めて繊細でかつ絵画的であることに驚きました。そして花という存在は実は死のイメージに一番近いんだと思わせるほど静謐さを醸し出す冷徹な表現に圧倒され、かつ感動を覚えたものです。

ところがです。そんな私の感動をよそに、蜷川はメイプルソープの方法論を踏みにじるような圧倒的な存在感で登場してきました。彼女の写真とは極論してしまえばセルロイドを着色した造花の赤色も、バラの赤も、赤という意味では同じだということです。そこにある微細なグラデーションもテクスチャーも意味はなく、そのフォルムすら曖昧でもかまわない、眼を閉じて浮かび上がってくる残像のような原色しか結局イメージとしてしか残らないじゃないか。網膜を焦がすような原色、それこそが美意識であり、かつて誰も撮らなかったものであり、それは対男性、対西洋、あるいは対伝統からも完全に独立した表現が可能だ、つまりこれがジャパニーズ・ガールのユニークな美意識だよ、という明確な宣言があったのです。

以上が私の展覧会場に着く前までの言わば彼女に対する予断です。

正直言うと私は少しばかり気後れしておりました。人気写真家だし、若い女性が多そうだし、私のようなオジサンが行くと浮いてしまうのではないか、と。実際ポートレートの写真のコーナーでは女性達が並んでいました。「昔、真似て同じ髪型していたのよね」という会話が聞こえてきます。ただ若い女性だけではなく、年配の女性も目立ちます。若い女性に人気なのは解りますが、年配の彼女たちが蜷川実花の写真に惹かれるのか興味があるところです。

会場は彼女の代表作がずらりと並んでいます。彼女は銀塩フィルムにこだわっているということを今回の展覧会で初めて知りました。ただ協賛の関係もあるでしょうか、プレクシガラスにプリントされたり、ライトボックスと称するスライドだったり、インクジェットの出力だったりします。

最近いろいろな写真展を回って気がついたことがあります。印刷された写真集と生の写真とは全く違うということです。生の写真の迫力を感じ、それが私が写真展に通う原動力にもなっているわけですが、商業的に成功した写真家ほど、その差は少ないということです。彼らの報酬のほとんどは印刷された媒体から得られていることから考えても、当たり前と言えば当たり前の話かもしれませんが。

だから正直に告白しますと、今回の写真展、ミュージアムショップで売られている展覧会のカタログの方がすばらしい出来だと思っております。どちらかというと彼女の写真は立派な美術館に飾られるよりは、彼女の写真の方法論から言ってもミュージアムショップで売られている土産物、缶入りの飴のパッケージ写真だったり、子供用学習帳の表紙だったりすることのほうが似合っているのかもしれません。

ですからここで語るとすれば彼女の新作「Noir」でしょう。これらの写真から言えることは行き着くところまで行き着いてしまった彼女の世界、展覧会の題名からすれば天上の世界からどちらに向かおうとしているのかです。

例えばイチゴの写真があります。そのイチゴの先端は三つに割れていて、明らかに畸形のイチゴです。彼女の初期の頃の写真にやはりイチゴの写真があります。それは漂白したような白いイチゴで、種の部分が淡いピンク色のイチゴです。ここに彼女の変化があるようです。被写体の選び方にも変化があるような気がします。切り刻まれた鶏肉の塊の写真、袋詰めにされた人形の写真、そして夜の写真。彼女の色彩には陰りが見えています。

それは何を意味をするのか、今まで彼女が極力排してきたように思える世界、すなわちエロチシズムの香りが仄かにします。彼女のそんな写真を見てみたいという私の願望かもしれませんが。

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2008年11月 7日 (金)

宮崎麻衣子写真展-シャドウ・ワンダーランド-キャノンギャラリー銀座

この作家の方法論は明確です。風景、その中で影を撮り続けています。その影をひたすら追い続け、フランス、スペイン、トルコ、イランの旅を続けます。ヨーロッパの、中東の美しい写真が並んでいます。私の好みで言えばスペインの闘牛場の写真が一番好きです。数人の男と牛、それらの影が金色に輝くスタジアムの中で影が伸びています。

当たり前のことですが、影というのは光とその光に晒されるオブジェクトがあることによって、物理的な必然性で生じる現象です。影という明快な必然性に比べてその主体であるオブジェクトにそれほど必然性があるのか、影は常にそれを問いかけているように見えます。

そのオブジェクトが生身の人間だった場合、自らの存在に絶対的な必然性はあるのか、と問われていることになります。その問いかけにイエスと答えられるはずもなく、例えばパリのエッフェル塔の広場を歩く人の影の写真を見て、その存在の危うさを感じてついつい引き込まれるように見つめてしまいます。何故見つめてしまうのか? その影を見つめている私という存在の危うさを見ているのに過ぎないと言うことに気がつかされます。

この写真展を見終わったあと、帰り道私はひとり夕暮れの銀座を歩いていました。歩道に写るのは、金色に輝くヨーロッパの陽の光ではなく、街中に錯綜する街頭やディスプレー用のサーチライトから放たれる光による影です。街を照らすたくさんの光から、私の足下を中心に放射状に広がる複数の影ができています。私だけでなく、私を通り過ぎる人たちも同じような影を抱えています。幾重にも重なるその影は濃淡がありどの影も曖昧で、頼りなく見えます。なるほど、この写真家は影というものに視点を定めたのならば、撮るべきものはたくさんあるのだなと思いました。

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2008年10月31日 (金)

松本 泉写真展-晴れと褻の狭間-銀座ニコンサロン

祭りを題材とした写真展です。

まず選んだ場所が絶妙です。(写っている看板や標識から察して)関西近郊、都心部から電車で小一時間ぐらい、それほどの田舎というわけでもなく、開発され損なって残されたままになっているという感じの農村地帯を舞台としています。祭りと言ってもよそから見物客が訪れるような大きな祭りではなく、地元の人たちのみでひっそり行われている祭りをこの作者は訪ね歩いているようです。娯楽が少なかった時代にこの祭りを唯一の楽しみとしていた老人達と、彼らに引きずらるようにして出てきた子供や孫たち、と言った人たちをカメラは収めています。

この写真家はちょっとイタズラをしています。祭りの主人公であるはずの御輿や山車といった類を一切被写体としていません。法被を着ていたり、風景にそぐわない背広姿の老人がいたり、しめなわが通りに渡されていたりするのを見て、祭りだということを察することができます。つまり作者は祭りの主体に背を向けて、御輿や山車が練られるいわゆる”ハレ”の状態から、それらが通り過ぎて元の生活に戻る”ケ”の状態、その二つの状態の狭間のぽかんとしたような、ちょっとした真空状態を写し取っています。

この写真家の立ち位置が微妙です。

つまり写真家の視点は祭られる主体側からの視点に重なります。例えば自分の葬式があって、棺桶からこっそり式の様子を眺めてみたら一体どんな風景が見えるだろうな、と想像したときのような一種の非現実感があります。

私はこれらの写真を見ていて何故か吉田知子の「お供え」という小説を思い出していました。突然写真を見ている私がふわふわと漂ってしまいそうな、奇妙な浮揚感のある写真です。

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2008年10月30日 (木)

澤田勝行写真展-"FOTO PREMIO 2008" 風の棲む街へ-コニカミノルタプラザ ギャラリーA

制服を着た小学生の女の子の写真が好きです。雨上がりの街、おそらく嵐の後だったのかもしれません。透明傘は風でめくれ上がって裏返っています。その傘を大きな器のように見たてて、覗き込むような、そして今にも踊り出しそうな仕草の女の子が写っています。

「二眼レフに白黒フィルムを詰め込んで旅に出る」ということで写真を撮り続けたということです。旅先で出会った人達のポートレートと風景写真で構成されています。写真が発明されて、その機械を初めて人類が手にしたとき、一体何を写そうと思うのか、家族の写真か、風景写真か、自画像か、なんだろうということを思い及ぶとき、この写真家のようなことをしようする人間が多いのではないか、ということを考えてしまうほど、ストレートでシンプルな写真です。

人を撮るということは一体どういうことでしょうか。つまるところ撮る側撮られる側の視線の交流あるいは非交流です。この作者は前者、積極的にお互いの視線を交流することによりシャッターを押し続けます。

被写体となる人達は笑っているわけではありません。とりたてていい顔をしているわけではありません。無表情に近い顔が多かったりしますが、とても柔らかな視線をカメラを通じて交しています。それはつまりこの作者の視線の柔らかさに他なりません。

そんな視線を旅先でいろんな人達と交せることができる、旅の楽しさが溢れています。それがこの若い写真家の特質です。

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2008年10月27日 (月)

中島拓也写真展-"FOTO PREMIO 2008" 疾風-コニカミノルタプラザ ギャラリーB

1984年生まれ生まれの若い作家です。

独特の語り口を持つ写真家だな、と思いました。
新潟生まれというとのことで、東京に行き帰り、新幹線からの風景の「グラデーション」を撮ろうと思い、バイクに乗って写真を撮り続けたと作者の説明書きがあります。だがこれを鵜呑みにしてはいけないでしょう。彼が新潟の学校を出て、東京で新人写真家としての評価を得るまでの彼の人生を振り返った写真であると考えた方がよさそうです。

冒頭は学校の写真が並んでいます。教室の写真、卒業式の写真。一連の学校の写真の終わりには産業廃棄物というか、廃土の山の写真が並んでいます。あるいは血を吐いて路上で死んでいる狸の写真があります。これはどっきりさせられる写真です。その写真の隣には、中年男(それは彼の父親?)が居間で扇風機を浴びて寝ている写真があります。さらにその横には教室のようなところで、男のマネキンが数体、倒されている写真があります。何気ないスナップ写真を装っていながら、そこには暗示が仕掛けられているというこの写真家の語り口があります。

十代の男ならば抱くような、残忍でシニカルな感情が底流にあり、それをドライでユーモアすら感じさせる表現に変えてしまうというところにこの写真家の感性が光ります。

一枚だけ、女性のポートレートがあります。不思議な魅力のこの女性にこの写真家は何の暗喩を仕掛けているのでしょうか。非常に楽しみでもあります。

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2008年10月22日 (水)

高橋耕平写真展-No Man's Land-新宿ニコンサロン

1978年生まれの若い作家の作品展です。

まず冒頭に飾られた作品に釘付けになります。東京都港区で撮られたという写真は、港区の風景とも、東京の風景とも、日本の風景とも思えません。SF映画に出てくるような荒涼たる更地です。おそらくそこには有害な重金属や化学物質が堆積しているかもしれず、そのような毒素に蝕まれているのか雑草一本生えていません。その面積は広大で、これだけの土地があるということだけでも驚きです。

「No Man's Land」という題名通り、この写真家は日本各地に点在するゴミ埋め立て地を撮り続けています。

空の雲がきれいに写っています。朝方なのか夕方なのか、陽の光は優しく大地を照らしています。貪欲さをむき出しにした人間たちが、ゴミを使って海を埋め大都会を作る、その過程に突如現れたかりそめの大地です。いつかここに大きなショッピングモールやホテルやマンションの建設計画が持ち上がるでしょう。美術館やスタジアムが作られ、それらを結ぶ高速鉄道が走るかもしれません。十年か二十年のうちには高層ビルが建ち並び、夜景が美しい街に変わるでしょう。

最終処分場という言葉から通俗的にイメージしてしまうもの、例えば物質文明が向かう先の死に絶えた世界、などと思ってしまいそうですが、作者は違う視点を持っているように思えます。この地を都市の「終わり」と「始まり」の間にあると場所だ作者は位置づけています。今は目立たずひっそりと沖合にあり、やがて消え行く運命にある風景ですが、やがて開発が進むまで、一息ついているような印象を与える写真です。

繰り返しになりますが、この写真展の白眉はなんと言っても冒頭の港区にあるという処分場の写真と思います。私が惹かれるのはそこに地平線が写っているということです。こんな景色が東京のすぐそばにあるのならば是が非でも見に行きたい気持ちに駆られます。地平線まで広がる荒野も都会には必要なのではないか、例えばここを丸ごと保存して草木も生えないまま公園したらいいんじゃないか、そんな風にも考えてしまいます。

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2008年10月20日 (月)

染谷學写真展-温泉の町-銀座ニコンサロン

 題名通り、北は北海道から南は台湾まで、全国の温泉場の風景を撮った写真展です。私はこれらの写真を眺めていて、山口瞳の『草競馬流浪記』を思い出していました。全国の公営競馬を全て訪ね歩いたその記録です。それは私にとって憧れだと言えば、この写真家のように写真機を担いで全国の温泉を巡るのもあこがれです。

作者自身の説明によれば、幼い頃、共稼ぎだった母親に連れられていった勤務先の慰安旅行がどこかの温泉で、その歓楽街に漂う艶っぽさの中にいる母親を見て不安になったと書いています。

小泉改革の影響か、疲弊した地方を象徴するのか、かつての歓楽地としての温泉は見事にうらぶれてまさに「撮り頃」になっていると言ってもいいでしょうか。スパ・リゾートとか何とか、思い切って資本を注入すれば、それなりに若い女性をたくさん呼び込めるはずなのに、そんなことは無縁の負け組の温泉場を求めてこの写真家は写真を撮り続けます。

私の嗜好から言わせていただくと、歓楽街の安っぽいネオンや看板が色褪せて赤茶けた湯垢が堆積していくような、その朽ちたさま(私にとっては一種のエロチシズムのようなもの)をイメージしてしまいます。それは強烈な色彩のイメージであるような気がします。

”ホテルの裏には細い谷川が流れていて、弱々しく舞い上がる無数の蜉蝣の羽が西日に透けて見えた。山あいの夕暮れは早く、薄紫色に染まる空がとても心細く感じられた”

作者自身、過去の思い出を色彩が沸き立つような書き方をしています。

それにも関わらずこの写真家はモノクロ写真で撮っています。当然のことながら被写体に漂う猥雑な雰囲気が削ぎ落とされてしまいます。秘宝館の男女が交わっている人形、成人映画の看板、春画が描かれた絵皿、廃墟になってしまった旅館の卑猥な落書き、それらの写真を観ていて気がつくのは被写体に対するストイックな視線です。

モノクロ写真というのは時代性というのも削ぎ落とします。今回の写真が二十年前、あるいは三十年前、昭和の写真だと言われても気がつかないかもしれません。おそらくそこに作者は普遍性を見たのではないのでしょうか。子供の頃に見た風景、あるいは見ることによって不安にさせられた風景と重ね合わすことができるのではないかという試みのように私は思えます。

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2008年10月19日 (日)

小柴直樹写真展-舞人の記憶 追想-舞踏家・元藤燁子-コニカミノルタギャラリーA

子供の頃から不思議に思っていたことがありました。泥の中や海の底に這っている蝦や蟹という生き物は、どうして茹でるとあんなにおいしそうな鮮やかな赤に染まるのか、ということです。彼らはあたかも茹でられて人間に食べられることを前提として生きているようで、なんとはかない生き物なのではないか? と。今考えるとそれは全く逆で、彼らを茹でて食べたらおいしかった、そのとき彼らの殻が赤く変色したことから、その色を見ただけで勝手に人間がおいしそうな鮮やかな色だ、と思っただけなのでしょう。

私が写真展に通い、写真を多く観るようになったのは、赤く茹でられて御馳走用の被写体よりも、泥に塗れたままの生きた世界を撮ろうと格闘する写真家の存在に気がついたからです。見た目は泥に塗れていても鮮やかに輝く瞬間が見えるかもしれない、それこそが写真家の視点なのです。だから有名タレントのグラビア写真なんていうのは(写真そのものは嫌いではありませんが)、このブログとしては取り上げづらい対象でした。

今回の写真展は舞踏家である元藤燁子を主人公として取り上げています。彼女もまた人に見られることを前提とした被写体です。彼女の夫は同じく舞踏家故土方巽の妻であり、彼女自身も平成15年に逝去したそうです。

私はこの手の前衛舞踏に妙に色眼鏡で見てしまいがちです。それは私が大学に入学して間もない頃、あてもなく教養学部のキャンパスを歩いていた時のことです。全身白塗りで褌一丁の姿で踊りながら練り歩いているのを目撃しました。近くで彼らの公演があり、その宣伝だったのでしょう、私は妙な反発を彼らに覚えました。その奇異な格好のパフォーマンスも大学の教養課程レベルで、コップの中の嵐ほどにも世間に対して対して衝撃を与えていないだろう、と。そう感じた私も何か妙なプライドに凝り固まった割には何をやるにも自信のなく、そのすべてのゴールが遠くに見えてしまっているひ弱な学生に過ぎませんでしたが。

写真はその舞踏家一座が熱海に公演旅行をした記録です。その舞台を撮った写真が秀逸です。それほど広くはないと思われるステージ、暗い照明の中の彼女らをフラッシュなし、ピンぼけになるのも厭わずに撮り続けています。彼ら一座が目指した呪術的な世界を仄かに感じさせる写真です。それに続いてサングラスをした素顔の彼女の写真があり、彼女がこの世界に捧げてきた年月を感じさせ、また白塗りの姿で彼女の夫である土方の写真を抱えてポーズを撮る写真は、この女性は舞踏と夫に仕えて来た聖女であるということがわかります。これがこの写真家が彼女を撮り続けた衝動なのでしょう。

彼女の一座には若い人たちがいます。彼らの海辺で撮られた写真もあります。彼女のやったことは間違いではなかったのでしょう。若い世代に松明は引き継がれたのですから。それこそが鎮魂であり、この写真展のカタルシスになっています。

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2008年10月15日 (水)

山口節男写真展-海のセラピー2-新宿ニコンサロン


海のセラピーという題名の先入観でこの写真展を見てしまうと戸惑いを感じてしまうかもしれません。海を守れなんてスローガンのもと、海の持つセラピー効果について写真を通じて訴える、なんて通俗的に考えると肩すかしを食らいます。ここには一見何の変哲のない海辺を被写体としたモノクロ写真が並んでいます。

例えば堤防と浜と海と空のみの何もない写真(まるでトリコロールをモノクロ撮影したかのような、これ以上ないほどのシンプルな構図で、実は私自身この写真が一番好きだったりします)。テトラポット、砂浜の途中で消えてしまう轍。作業中なのか作業を放棄してしまったのか、浜に突き刺したままのスコップ。ぽつんと立つ街路灯。電柱。松の木。防火水槽の標識、うち捨てられたかのようなパワーショベル。親しげに寄り添うように見える一対の風力発電用風車。それらは浜辺の景色の中でぽつんと孤立しています。

ハイトーンの写真は白日夢のようにも思え、じっとその写真を眺めていると何かざわめきのようなものが聞こえてくるような気がします。それは浜辺に響く波の音でも風の音でもありません。何もない浜から突然非現実なものが飛び出してきそうな、その前兆の地響きのような雑音です。観る側にとって何か心が騒ぐ、と言い換えても良いかもしれません。でも何も起こるわけはありません。うららかな浜辺の景色のままです。

作者自身、人生というものを川にたとえればたどり着く先は海だろう、ということを書いています。作者は40代後半、まだ人生の結論に達してしまうのは早い。でも一足早くその到達点をさまよい、そこにある何かを探し求めてシャッターを押し続けた姿が浮かんできます。

写真展の最後に飾られている海の写真が印象的です。トーンが飛んでいて何も写っていないように見えます。それは写真なんて結局のところ無だぜと挑発しているようにも思えますし、この写真を新たなゼロとして写真を撮り続けようという決意表明ともとれます。どうやらこの撮影を通してのセラピーはこの写真家にとって成功だったのではないかということが、観る側に救いとなっています。

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2008年10月12日 (日)

木内博写真展-月の輝く夜に-エプソンイメージングギャラリーエプサイト ギャラリー2

月の輝く夜、湖か海か、淡い月光を照り返す水面のさざめきを撮った写真展です。

もし何の説明もなくこの写真を見せられたら、写真とは気がつかないかもしれないません。特殊な方法で描かれた抽象絵画と思うかも知れません。

写真というのは通常二つの工程を経て生み出されるものです。最初の工程はレンズを介して銀塩か、光学センサーを介して光を写し込み、メモリーする工程。二つめはメモリーされた情報を感光紙かインクジェットプリンターを通じて復元する工程。

これら二つの工程について、記録され、復元される情報には物理的な制限があり、写真という表現を行う上ではその制限、言い換えれば光の帯域というものに支配されざるを得ません。

だから写真という表現活動を行うには、その制限を知り尽くしていなければなりません。知り尽くした上でどうするのか。テクノロジーでもってその帯域を広げるようメーカーに働きかけて最新鋭の技術を獲得するか、その帯域の中で最大限表現できるもの引き出すか、二通りの表現方法があるように思えます。木内はそのどちらにも属さない写真の撮り方をしているように思えます。

同じエプサイトの会場で中野正貴が同じようなコンセプトの写真を撮っています。夜の東京を流れる川、ネオンの光が反射する水面を写した写真です。被写体は似ていても、その撮影手法は百八十度異なります。

中野は写真における光の帯域を知り尽くした熟達の写真家です。木内と同じ波間の光の揺らぎを撮ったとしてもそれは水面であることはすぐに解ります。いわばオーソドックスな撮り方といっても良いです。木内はもっと大胆に、ある意味テクノロジーの限界を超えたところでの写真を撮っています。

私はまだまだ写真というテクノロジーは発達途上であり、進歩すべきものが残っていると思っています。例えば夜の淡い光。我々の感性に近いまでの微弱な光を写真が捉えているとは言えません。だがそれを無理を承知で撮ったとしたらどうなるか。つまり無理な増感をすれば細部の情報は失われてしまいます。あるいは細部を最大限復元しようとして、全体のイメージが消えてしまうこともあります。そこに木内の着想があります。

つまり光のテクスチャーは抽象化されます。インクジェットプリンターでプリントアウトされた映像はマットな印象ですが、月の光はくすんだ金色に輝いて、エロチシズムすら感じさせられます。遙か原初に生命という複雑な構造体を生み出すための必要だった分子の揺らぎについての決定的な証拠写真のようにも。あるいは喪われたものの鬼火のようにも。

いずれにしろ極めて美しい写真です。

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2008年10月 5日 (日)

John Sypal作品展-Gaijin Like Me- 新宿ニコンサロン

銀座と新宿のニコンサロン、奇しくも同じ題材、日本におけるガイジンを被写体とした作品展が開かれています。

題材が同じでもそのアプローチは全くと言っていいほど異なります。今回訪れた新宿ニコンサロンの「Gaijin Like Me」、作者はアメリカ生まれのガイジン、1979年生まれの若い写真家です。千葉県松戸市に居を構え、日本について、そして故郷のアメリカについての作品を発表されているそうです。

この写真展の狙いは明確です。日本におけるガイジンという奇妙な存在についてです。ここで作者が定義するガイジンとは極めて狭義の定義です。つまりガイジンとは白人男性である、と。日本人がイメージするステレオタイプのガイジン像があり、そのステレオタイプのイメージ通りに彼らが安住することにより、居心地の良い特権を得ていると作者はまず作品展のキャプションで論じています。彼らは日本人の中で珍しい存在であり続けること、そうであることによって特権を享受できるわけですが、その安寧を脅かすのが同じように特権を得ているガイジン同士ということになります。と言うわけで、珍しい存在であるガイジン同士が街ですれ違う時に見せる「控えめな対決姿勢」の視線を感じていて、それをテーマとしたということです。つまり自らガイジンである作者の視線の代わりにカメラを持ち歩き、被写体であるガイジンの視線を写し取ろうというユニークな実験です。

作品は街のスナップ写真です。スナップ写真というのは撮影者たる自分の存在を極力消し去り、街の生の表情を写し取るというイメージを考えてしまいます。つまり神の眼たらんという方法論です。だが作者は百八十度異なった姿勢です。撮影者である主体を被写体に晒すことにより、その反応を引き出そうというやり方です。


例えば法被を着て祭りに参加しているガイジンがいます。彼はたぶん御輿か何かの写真を撮ろうとしているのでしょう。次の写真で作者が向けるカメラの存在に気がついて、作者に向けてしかめっ面をしています。あまりに作者の狙い通りのリアクションに思わず笑ってしまう写真です。作者自身の社会に対する鋭い観察眼があり、そこから作品全体を通して漂ってくるのはこのユーモアと言ってもいいでしょう。

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2008年10月 3日 (金)

鷲尾和彦写真展-極東ホテル-銀座ニコンサロン

    山谷の簡易宿泊所に集うガイジン達のポートレートです。「極東ホテル」というのは作者が名付けたもので、その宿泊所には様々な人種、老若男女が訪れます。

背景に写る壁紙のテクスチャ、洗面台、都市ガスのメーター、「消火器」の表示、確かに日本の安宿で撮られた写真であることはわかります。しかしながら彼らの強烈な存在感は、本当に日本で撮られたのかと疑わせるほど異彩を放っています。

ここに登場する人たちは少なくとも街角で見かけるガイジンの観光客には見えません。国から国へ移動することの強迫観念に駆られているだけで放浪を続ける「旅行中毒者」(そんな病があればの話ですが)のセラピー施設の患者に見えてしまいます。

彼らは少しだけ日本の「文化」について影響を受けています。PSPをいじっていたり、リラックマのぬいぐるみを持っていたりします。特にアラブ系の顔立ちをした女性がセーラー服を着ているポートレートが目を引きます。女子高生たちが着こなすセーラー服がどうしてグローバル性を持つファッションとなり得たのか、大変興味があります。が、私が論じきれる問題でありません。ただ彼女の表情が何か切なげに見えるのは私だけでしょうか。

そのような日本の「文化」を手に入れた彼らですが、満足しているようには見えません。特に怒っているようにも失望しているようにも見えず、東洋的な諦念が彼らに乗りうつったかのようです。どちらかと言うと、もう一つの日本の「文化」である、ヨソ者に対する「よそよそしさ」に圧倒され、孤立しているような視線を投げかけています。

私は会場の写真を眺めながら、同じようなコンセプトでたとえばニューヨークで、ロンドンで、ムンバイで旅行者のポートレート写真を撮ったとしたら、一体どんなまなざしをしているのだろうか、ということを考えていました。

おそらく違った目をしているのでしょう。その特異性こそ「極東ホテル」の強力な磁場があるのではないでしょうか。

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2008年9月26日 (金)

大沼 英樹作品展-沖縄語(ウチナーグチ)II 美ら島 地獄の記憶-銀座ニコンサロン

本作品展は二つの写真群からなります。一つは沖縄の風景写真。カラー写真です。もう一つの写真群は沖縄在住の戦争体験者のポートレート写真。これはモノクロ写真。二つの写真が交互に展示され、写真の主人公の戦争体験を語ったインタビューがキャプションとして写真に添えられています。

ポートレートに登場する人たちは十代から二十代に悲惨な沖縄戦を経験した人たちであり、死線を彷徨い、潜り抜けてきた人たちです。かれらは皆柔和な表情を浮かべている普通の人たちです。彼らに何か共通点があるようにも思えません。どこにもいる老人たちです。

ポートレートの脇を埋める沖縄の風景は、たぶん六十三年前にも見えていたかもしれない風景と、六十三年を経て未だ残されている風景が写されています。それは戦中戦後変わらず咲き続けている花であり、輝き続ける星です。そんな変わらない自然の中に朽ちたヘルメットや爆弾の一部が眠っています。

偶然かもしれませんが、ニコンサロンの新宿では同じく老人をテーマにした写真展が行われています。特徴的なのは私より年下の世代、四十歳歳前後の写真家が取り上げていることです。

同じ年代の写真家が老人たちをテーマにするのはどういう意味なのでしょうか。

ペットロスとかなんとか、飼い犬が死んだと言うことで精神的に不安定になる人の話題が、マスコミに取り上げられる時代です。私の回りですら抗うつ剤を飲んでいるという人を知っています。現実の問題としては苦しんでいる人を救うためのケアの手段として間違ってはいないのでしょう。

繰り返しになりますが、この写真展に登場する人たちは沖縄戦を通じて悲惨な体験をした人たちです。悲しみ苦しみを全て自分で抱え、精神科医の処方箋にも頼らずに普通の暮らしを獲得した人たちです。

我々の今の生活がいつまで続くかわからない、あの第二次世界大戦を凌ぐカタストロフィーがいつ起こるとも限らない、そんな漠然とした不安の中、彼らの表情を見つめることはある種の希望でもあります。人間は思っているよりタフかもしれない。タフゆえに崇高であると。

そして彼らは普通であるゆえ寡黙であり、現代の社会では埋もれてしまっているのです。やがて年老いていくでしょう。もし彼らがいなくなってしまえば、よりどころにするものが絶えてしまうかもしれない。残された時間はないのです。

だからこそ写真家が彼らを撮る価値があるのです。

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2008年9月23日 (火)

奥山淳志写真展-明日をつくる人-新宿Nikon Salon

北海道で農業に従事している八十九歳になる井上弁造さんを十年にわたって撮り続けた写真展です。八十歳を過ぎても農作業をや絵を描き続ける井上さんの、全く衰えることのない継続への強い意志に作者は敬意を払い、つまり井上さんを「明日をつくる人」だと称えているのです。

写真展は井上さんのポートレート、農園の暮らしの様子、四季折々の農園の自然の写真から構成されています。メープルの紅葉が美しいです。かつて甘いものに飢えていた大戦当時、北海道の人たちはカエデを育てたとのことで、それから年月が経ち木は大きく育って、紅葉はあたり一面を染めるほどです。ただメープルを傷つけるのがかわいそうで、そこから甘いシロップは取ったことがない、とキャプションに書かれています。平和になって豊かになった時代のありがたみをしみじみと感じさせる言葉です。

なんと言っても井上さんのポートレートが一番惹きつけられます。八十歳を越えたとは思えない色つやのいい老人は、柔和な表情を浮かべています。八十九歳という年齢にまたがる時代は決して生やさしいものではないはずであるし、文字通り北海道の風雪に耐え抜いた男の表情はどうして柔和なのか? 私は彼のポートレートを見ていて、マラソン選手の目を思い出しましていました。42.195Kmという過酷なレースを走りきるその人たちの目はどうして皆柔和な目をしているのかなぁ、とかつてから不思議に思っていました。

その目と同じ目をしているように思えます。おそらく人間というものは、真につらく厳しい状況を前にすると、謙虚にならざるを得ず、結局、柔らかい眼光に変わっていくのでしょうか。

今回の写真展で配布されているA5版のパンフレットを見ると、PHOTO DOCUMENTARYと銘打たれています。このような写真展においてPHOTO DOCUMENTARYって一体何なのか、
難しいものがあります。私の勝手な解釈をすれば各写真に付されるキャプションについてどう重み付けをするかだと思います。

写真展に言葉は不要などとは言いません。良い文章を書く写真家は多いですから。
だからこの写真展においてももう少し文章があってもよかったと思います。

そう思いながらパンフレットをよく見たら、写真展の題名が「明日をつくる人 vol. 1」となっているではないですか。

vol. 2以降を見てみたいと思います。

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2008年9月20日 (土)

安藤光弘写真展-A Littele Trip-エプソンイメージングギャラリー エプサイト2

私が写真展に行く楽しみの一つにポストカードが貰えることにあります。そしてこのポストカード集めが私のささやかな趣味となっております。

今回の写真展のポストカードを見て、私はてっきり若い写真家の作品展と勘違いししまいました。マンションか家か、コンクリートが打ちっぱなしの基礎工事中の現場を撮った写真です。三階分の長い階段がまっすぐに伸びており、その真ん中を養生用のブルーシートが敷かれています。青いブルーシートとコンクリートの対比が鮮やかで、若い人の感性ではないかと思いこんでしまったわけです。

ところが氏は1941年生まれとのことです。会社を退職し、移り住んだ町田市界隈の風景を撮した写真展です。一通り写真を見終わった感想はやはり若い人の感覚だと思いました。

舞台となる町田市は、とりたてて何かあるものではない、古い家は住人が老いるにつれて朽ちていき、そのままになっているか、更地にされてそのままか、あるいはとりたてて何かというわけではないマンションが建て替えられていく街です。うんざりするような、逃げ出しそうになりたくなるような都心近郊の住宅街、かつては新興住宅街、ベッドタウンと言われた場所です。

そんな街の駐車場で干されている透明傘であったり、更地に咲く花であったり、壁打ちのテニスボールの跡が点々と残るコンクリートの壁であったり、塀際に並べられた陶製のこびと人形の列であったり、そんな街の風景の断片を一つ一つ写し取って行きます。

展覧会の題名は「A Little Trip」です。展覧会の説明書きには「近所の煙草屋へ行くのも旅である」という吉行淳之介の言葉が引用されています。ほとんどの写真は快晴の日中、明るい日差しの元で撮られたものであり、より明るく、柔らかな色調でプリントされております。

そのハイキーは色調は妙によそよそしい感じ、軽い非現実感、より強く言えば軽い違和感を感じさせます。たとえば自分の家の庭作りならば几帳面にこなすのに、自治会の掲示板を朽ちるのにまかせているような地域です。その地に根が張っているのか、張っていないのか、愛着があるのか、ないのか、土着に溶け込もうとしているのか、そうでないのか、作者は明らかに「旅人」の視点で撮っています。

実を言うと私の育った場所も、この写真展の舞台である町田からそう遠くないところです。
この写真を見ていて、同じような風景で育った私のかつての気持ち、ここは俺の土地ではない、いつまでたってもここが故郷と呼ぶことはないだろうな、という疎外感を思い起こしてくれます。

そうです。この作者が若いと思った理由はまさにここにあります。

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2008年9月16日 (火)

細江英公人間写真展-『抱擁』と『薔薇刑』-ギャラリーホワイトルーム

細江英公についてはきちんと見てこなかったような気がします。つい最近、舞踏家の大野一雄を主人公に据えた写真展をエプサイトで見ました。言い方は悪いですが、妙なジャポニズムというか、西洋におけるステレオタイプの日本観に衒いもなくおもねているように思えたのです。

今回の写真展は二つの旧作(共に1960年代に撮影されたもの)を集めたものです。一つはプラチナ・パラジウム・プリントという手法で(『薔薇刑』)、もう一つはインクジェットプリンターという手法で(『抱擁』)とリプリントされたものです。

白眉はなんといっても『抱擁』です。内容からいうと『抱擁』というより『交接』と言ったほうがいいかもしれません。裸体の男性と女性がその肉体を絡ませている、その断面を大胆に撮し取ったものです。

大理石の彫像のように丸みを帯びた女の肉体に、濃い影のような男の肉体が接しています。ある作品では男の手が女の肉体を蹂躙しているように見えるし、別の作品では男の肉体が飲み込まれそうに見えます。女の足に男の腕、女の背中に男の腕、女の胸に男の胸、男の腰に女の尻・・・・・徹底して肉体の断面、そして行為の瞬間を切り取る手法でエロスを表現していますが、単にフォルムを追求しているだけではありません。

作者自身の作品展のための解説を読むと、作者は印刷なるもの対してこだわり続けてきたということを知ります。時代の趨勢からか廃れてしまった「マット・グラビア」なる印刷技法について、その技法によって得られる独特の質感が失われてしまうことを惜しんでいます。そしてたまたまエプサイトでの作品展(私が見た大野一雄を撮した作品展だ思われます)でインクジェットプリンターを使ってみたところ、マットグラビアの質感が再現できたことに驚き、本作品『抱擁』も同手法でリプリントしたとのことです。

男の肉体と女の肉体では質感の表現において大きな差があります。女の肌は白く飛んでその肌理が省略されているのに対し、男の肉体は浮き出る血管や毛穴などディティールが描写されています。この二つの質感を眺めているうちに、その触れ合う肉体の荒い息づかいが聞こえてくるようですし、その女の肌にぽつりと男の汗が落ちるように思えてきます。

確かに技術の勝利かもしれません。

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2008年9月14日 (日)

TOKYO-中野正貴写真展-エプソンイメージングギャラリーepsite galley 1

会場の性格上、公開された作品はすべてオリジナルプリントではなくカラープリントでの出力となります。プリンターの性能を訴えたいのでしょうか、どの作品も壁一面を覆う巨大なプリントアウトの展示となっています。

作品は氏の今まで作品、TOKYO NOBODY_2001、TOKYO WINDOWS_2001、TOKYO FLOAT_2008からのリプリントとなります。

どれも東京を題材としたところは共通しています。TOKYO NOBODYは題名通り人が写っていません。人どころか車もありません。ただNOBODYではありますが、SOMEWHEREというわけではありません。それは銀座だったり、渋谷だったり、お台場だったり、渋滞で有名な芝公園あたりの高速道路上だったり、東京暮らしを数年続けていれば誰でも馴染みのある風景です。

都市というものは溢れかえる人や車を収納し、循環させていく装置であります。装置を存続させるためには、ガードレール、信号、手すり、看板、奇抜なオブジェといった色々なディティールが必要です。都市の住民というものはディティールの主人であるか奴隷であります。彼らを消し去った場合、装置はどのように写るのか? それがこの作品群の実験であります。

その風景は寒々とした廃墟のように見えるかというと、決してそのようには見えません。たとえば銀座の写真があります。人一人、車一台ない銀座通り、街路灯には日の丸が掲げられています。イメージとしては戒厳令下の銀座というイメージですが、写真から受ける印象はそのようなネガティブなものではありません。おそらくお正月の早朝に撮られたと想像しますが、朝の清冽な雰囲気が伝わってきます。

TOKYO WINDOWSと呼ばれる作品群はその手法がより明確になってきます。写されているものは東京タワーやお台場の自由の女神、かっぱ橋の巨大コックの胸像など皆なじみのあるオブジェが対象となります。それらのオブジェを隣接する建物の窓を通して撮るという試みです。

たとえば吾妻橋のとあるビルの屋上にある有名なオブジェ”金色のうんこ”を写した写真があります。撮影されたアパートの角部屋。おそらく男やもめの部屋でしょうか、殺風景で布団が敷きっぱなしです。なぜか床の間にぽつんと招き猫が置かれています。

パブリックなオブジェが突然プライベートな空間に闖入してきたという一種の驚き、たぶんこんな部屋に住んだら落ち着かないだろうなという違和感を見る側に与えます。

奇しくも同じ題名、TOKYOで山内道雄が写真を公開しています。 雑踏を蹂躙するかのように分け入り、行きかう人々の剥き出しの視線を強奪するような写真を撮り続ける山内に対して、無人の街を大判カメラを抱えて撮り続ける氏と、同じ題名にもかかわらずその手法は百八十度異なります。動的な山内と静的な中野とでもいえるでしょうか。両極にある手法を取る二人の作家を対比させることにより、TOKYOというものを写真家がどう捉えようとしてるかが浮き彫りになるようで興味深いです。

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2008年9月11日 (木)

私の家族-35年間の記録-高橋勤写真展 コニカミノルタギャラリーA

二男一女の家族のスナップ写真を集めた写真展です。何かのたくらみや仕掛けがあるわけではありません。写真好きのお父さんならばアルバム数冊、どこの家庭でもあるはずの写真に見えます。可憐な女性が母親になり、いたずらっぽい笑顔の女の子が美しい花嫁になるその時代を、若干の前後はあるものの、ほぼ時系列で並べられています。

会場の真正面、一番奥にそれぞれの時代に撮った集合写真が集められています。時間を経て子供たちの成長がわかります。ただ一番直近に撮られた写真には母親が写っていません。表情も心なしか翳っているように見えます。

集合写真を除くと、思春期の頃の写真は少なくなります。私にも覚えがあります。俺はお前の写真コレクションの単なる被写体か、お前の趣味なんかに付き合ってられるか、という反発。たぶんこの子供たちも同じだったのではないかと勝手に想像します。レンズから逃げ回ったり、不貞腐れた表情しかしなくなったり、だからロクな写真が撮れなかったんだ、きっとそうだ、と考えているうちに妙な感慨にとらわれました。

モノクロ写真の中で二枚だけカラー写真があります。
一枚目は鎌倉のお寺で撮られたという写真です。「退院直後」と説明があり、アジサイに囲まれた母親が一人写っています。隣の写真は再びモノクロになり、その写真のみ人物が写っていません。写っているのは床の間にぽつんと置かれた母親の遺影です。それだけです。

二枚目は長女有希子さんの結婚式でのスナップ写真です。写真展の一番最後にあります。オレンジ色のドレスを着た彼女は眩しいほど美しく、そして写っているのは4人だけ、母親の姿はありません。

何かドラマが語られているわけではない、日常を淡々と描いた地味ではあるが上質なモノクロ映画を観せられたような気持ちにさせられます。

たとえば涙もろくて有名なとあるタレントがいて、その彼の親が死んだとき不思議と涙が出なかった、テレビではあんなに泣くのにどうしてだと近親者に責められた、という話をラジオで聞いて、そんなもんなんだろうなぁと妙に納得した覚えがあります。だからこの写真展を観終わって、つい涙腺が緩んでしまったと正直に告白しても、私の性格の矛盾したところと非難されることはないと思います。

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2008年9月 7日 (日)

世界はいつも変化して。-村山加奈恵写真展-エプソンイメージングギャラリーエプサイト2

1988年生まれ、藝大在学中の若い作家の個展です。決して広くない会場で、もう少し沢山の写真を見たかったなというのが率直な私の感想です。ただ広い会場であるギャラリー1では巨匠である今村光彦氏の作品展が行われているわけで・・・・・・

会場の正面に大きな写真があります。会場であるエプソンのギャラリーから目と鼻の先のところ、新宿西口の地下通路で撮られた写真です。白いドレスを着た美しい女性が立っています。おそらく作者自身でしょう。スローシャッターで撮られたその写真は、行き交う通行人を全て消し去り(よく観ると通行人の履いているスニーカーが微かに映っている)、残されているのは彼女一人です。

全ての写真、例えば寝乱れたまま、背中をあらわに横たわる女性(たぶん作者自身?)を含めてピントが合っていません。

何故ピントが合っていないのか? そもそもピントとはフィルムと、レンズと被写体の精密に計算された距離の関係によってのみ成立するものです。その距離関係は写真を撮る者にとって必ずしも精密ではあり得ないです。撮る者が被写体にあるものよりさらに遠くを見通していたり、その手前にあるところが見えていたとしたら、そしてそこにピントを合わせていたら、できあがった写真はピンぼけのはずです。

彼女の写真を見ていて、ふと春先に見た十文字美信の『藤崎』という作品を思い出しました。氏がまだ十代の頃、若さ故の衝動に駆られた友人『藤崎』の、海にまで行ってバイクを燃やすという行動をカメラで追い続けた組写真です。

バイクが燃えるところまでの最後の数枚はほとんどピントが合っていません。それは魂が揺さぶられ手元が震えているのと、バイクが燃えているという現実の遙か遠くに彼がピントを合わせているということです。そのピンぼけゆえに、青春と言いきっていい、荒々しく、生々しい感情がダイレクトに伝わってくる作品でした。

ではこの若い作家は一体どこにピントをあわせているのでしょうか。被写体のかなり手前に合わせているに違いありません。ほとんど目の前、おそらく彼女の心の中だけの焦点距離しかないところで、ピントを合わせているように思います。

作品展の題名は『世界はいつも変化して。』です。文を途中でぶった切り、無理矢理句読点をつけた題名です。ここには大きな省略があるように私は思えます。おそらく『世界はいつも変化して(でも私は私)。』になるのでしょうか。

獰猛としか言いようのない自意識は私は嫌いじゃありません。

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2008年9月 6日 (土)

TOKYO-山内道雄写真展-新宿ニコンサロンbis

2006年の東京の風景だそうです。新宿で、渋谷で、浅草で、表参道で、門前仲町で、雑踏---この写真展でこの言葉が一番ふさわしいと思います---のスナップ写真です。

電信柱に止まる蝉、羽ばたく鳩、地を這うケーブル、吸殻、疥癬に冒され伸び放題の足の爪、野良猫ら、そして雑踏を通り過ぎる様々な人達、それらの写真が会場一杯に展示されています。

粒子の荒いモノクロ写真で撮られる世界は、時代性というものを削ぎ落として行くように思えます。昭和の写真集だと言われればそうかもしれないと納得してしまいかねません。(例えば女性のファッションなどを見れば、時代を特定できてしまうかもしれませんが、その手に私は極めて疎いです)

削ぎ落とされて残ったものはなんでしょうか? それは人々の行き交う視線です。

恐らく作者は事前の了解を得ずにシャッターを切ったのでしょう。レンズを向けてポーズを作っているのは、(たぶん金髪の)鬘をかぶり人形を抱えている初老の男ぐらいです。目を剥いて傘を突き出して怒っている小太りのおばさんもいます。

雑踏ですから、お祭りやイベントが開かれ、人気の芸能人が通り過ぎることもあります。結婚式を終えたカップルが、人力車に乗って町を走るかもしれません。確かに笑っている人の写真もあります。

しかしながら普段の日、雑踏を通り過ぎる人達はどうでしょうか。幸せの人は案外少ないのではないでしょうか。例えばその人は納品の遅れの言い訳を必死で考えているサラリーマンだったり、有金全てギャンブルに使ってしまって、次の遊びの金をどう工面するのか窮している男だったり、病院を色々変えても一向に良くならない腰痛に途方に暮れているお婆さんだったり、働くなった彼氏の暴力に怯えていたりするOLだったりでしょう。

この東京の雑踏で、突然レンズを向けたらどんな表情をするか。私は絶対にニッコリ笑ってポーズとるなんてことはできません。

例えば虚空を見上げ、口をポカンと開けている老婆の写真があります。彼女は不治の病を患っているように見えます。咥えタバコにちょび髭の男は、闇の臓器売買のブローカーのようだし、サングラスをかけ、頬のこけた男は、パートナーを次々殺した同性愛者ではないかと思えるし、風に髪を乱した横顔の女性は、彼氏に殴られた直後のように見えます。

ここに現れる人達の面構えの険悪なことか。そして行き交う視線の凶々しいことか。

確かに南の島の楽園ではありません。素朴で人懐っこい表情を見せることなどないのでしょう。ここに登場する子供ですら、疲れ果てているか、突然向けられたレンズの意味を理解できず、子供らしい好奇心より、理不尽さにぽかんとしているように見えます。

つまりこれがTOKYOだよ、と作者は世界を切り取って見せてくれます。

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2008年9月 5日 (金)

Ideology in Paradise-渡邉博史写真展-銀座ニコンサロン

プラスチック製の赤い花(たぶん牡丹を模したもの)の写真があります。この花に象徴されるように、この写真展の被写体はすべて造花のようなものといっても過言ではありません。登場する少年兵士も、新婚夫婦も、女性音楽隊も、幼稚園の園児たちも。

北朝鮮に関しては既に固着してしまったいくつかのイメージがあります。背広を着て公園でボート遊びしているような、北朝鮮の権力筋が顕示しようとしているイメージ。その裏側で、慢性的な貧困や飢え、およびそれがもたらす道徳的頽廃の衝撃的スクープ映像のイメージ。
この写真展は前者のイメージに沿う形で撮られています。おそらく氏の背後に北朝鮮公安関係者の視線を感じながらの撮影だったのでしょう。

そんな彼らの世界にも綻びが見えます。例えば病室の写真です。清潔であるが殺風景な部屋。ホテルにあるような手すりのないベッド。シーツには皺一つなく、掛布にはまだ折り目が残っています。寝ているのは若い女性で、身体をこわばらせたかのようにまっすぐの姿勢で横たわり、血行のよい赤い頬をしています。いくらなんでもそんな病人はいるとは思えません。

でもそんな北朝鮮の綻びを探してもあまり意味はないのかもしれません。キッチュに見える彼らの世界を冷笑することもなく、ましては彼らに迎合することもなく、冷静な視線で、彼らの差し出すイメージを真正面から見据えて撮り続けます。

例えば少女たちのポートレート。おそらく選抜された女優か、党幹部の子女かどうかわかりません。おしなべて清楚で、真面目そうな女性ばかり。見事なほどステレオタイプです。

氏はそうした北朝鮮が提示してきた国家的イメージの中から、少女達が本質的に持っているはずの危うげな視線と、少なからず国家というものに特権階級という形にしろ、巻き込まれているというその危うさを二重に浮かび上がらせます。

静かな対決が見えてきます。彼らが差し出そうとするイメージとそれを受け取る側との対決です。作者は変にジャーナリステックにならずに、静かに拮抗します。作られた国家的イメージとがっぷり四つに組むこと。これがこの写真展の醍醐味です。

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2008年8月30日 (土)

晴れた日に永遠が見える-加藤文彦写真展、新宿コニカミノルタプラザ

2000年前後の主として関西を中心とした風景写真です。建築現場だったり、古びた団地だったり、高速道路だったり、本当にありふれた景色の写真が並んでいます。

例えば1999年滋賀県栗東市で撮された写真があります。工事現場の写真。造成地は赤土が剥きだしになって整地されています。植林のために若木が数本、荒縄で括られて赤土の上に転がされています。その横にはパワーショベル。

この作品は一見すると日に褪せてしまったカラープリントのように見えます。けれどもスローシャッターで撮られた作品は、パンフォーカスの精密に撮られた写真であり、その発色に間違いはないことが素人の私にもわかります。

赤土の写真はその他に数枚あります。それは高速道路脇の工事現場であったり、無惨に晒されるその赤土が目立つその写真は、どれも何かねぼけたような第一印象です。が、それはこの写真家の綿密な計算であるということが次第にわかってきます。

会場入り口の挨拶文で、作者は古い幕末の江戸の写真に興味があると書き記しています。並んでいる作品を見てもそれが何の関連があるのか、作者の意図をすぐには理解できません。

ただどの作品も遠くからから眺めると、古ぼけた写真に見えないことはない。つまり写真が古びているではなく、写されている風景が古びているのだということに気づかされるわけです。

これがつまり作者の狙いです。そしてその狙いは成功しています。

写真が写された時代が2000年前後の関西ということも影響しています。不景気のど真ん中だったのでしょう。どの写真も午後の気怠い感じの憂鬱感、無力感が漂っています。奇を衒ったわけではなく、精密に(言い方によっては愚直に)撮り続けていくうちに、時代の空気感が写し出されてしまったのです。

この作品展の意図から外れてしまうかもしれませんが、私自身の好みで言うと、赤土の写真は嫌いではありません。

大地を荒され、その内蔵を晒されているような赤土のイメージは、フェティッシュなエロチシズムをかきたてられますから。

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2008年7月 5日 (土)

虹の星-the rainbow planet 高砂淳二写真展 コニカミノルタプラザ

「夜の虹」というものが見えるらしい・・・・・・・

何かの諺でも、比喩でもありません。本当に見え、かつそれを写真に収めた写真展です。氏の挨拶文によれば、chase rainbowと言えばできそうもないことを追い求めるという喩えらしく、氏はそれを世界中で追い求めました。今回の写真展においても日本の写真は一点のみで、あとはハワイ、ニュージーランド、ブラジルなど、世界各国での写真です。

虹が見えるためにはいくつかの条件があります。まず平行光源、これは街頭やネオンサインのような点光源ではだめで、無限遠にある光源、例えば太陽のような光が必要となります。それから光を散乱、屈折させる粒子、その大きさもきちんと物理学的に計算されていて、それ以上でもそれ以下でもだめということになります。

だから月夜の明るい夜に、にわか雨か、通り雨が過ぎたあと、あるいは大きな滝の吹き上げる水しぶきなど、水滴が大気中に存在していて、月あかりとの絶妙な位置に立っていればいれば、夜であろうと、理論的に虹は見られないことはない、ということになります。でもこれは理論上に不可能ではないと言うことだけであり、僕自身夜に虹が見えるなんて比喩としても考えもしませんでした。

ただし最初に見た瞬間の正直な感想を言うと、期待が大きすぎたせいでしょうか、強烈な印象は受けませんでした。

おそらく最高の感度に上げたフィルム特有の粒子の粗さが目立っていて、せっかくの夜の虹の写真も、何か露光を間違えた失敗写真のようにしか見えかったりしたのです。

けれどもそんな僕があっと驚きを上げたのは、ニュージーランドで撮られたという写真を見てからです。

牧草地帯が広がり、海(あるいは湖)が遠望できる雄大な自然の中に架かる虹を写した作品です。抜けるような青空の元、通り雨が過ぎた残りの雲が白く、その雲を囲むようにして虹が広がっています。

作者はなだらかに下っていく牧草地に立って写真を撮っています。写真の下の方に作者自身の影が映っています。杭のてっぺんに立ち、片手で写真機を持ち、片手でピースマークをしている作者の影です。

写真のキャプションには以下の言葉、

「虹はいつでも自分中心に弧を描く」

物理学的にはきわめて当り前のことかもしれません。その言葉の響き方は今の僕の心に届きます(色々なところで痛めつけられている気分の僕にとって)。写真家は大抵とても良い文章を書きます。憎らしいほどに。数多くシャッターを押した写真から一枚を選ぶように、
言葉を選ぶのからなのでしょうか。その一言で僕はこの会場の写真を見る目が全く変わってしまいました。

何回も会場を行ったり来たりして写真を見直しました。写真の前に立っていながら、目の前の写真を見なくなっていました。この作者がシャッターを押し続けたその至福の瞬間を、追体験しようという試みていました。

「目を閉じて想像する夜の虹のイメージそのものが目の前にあった」

もっともっと写真は進歩すべきだと思います。どんなフイルムも光電素子もまだまだ闇の中に潜む弱々しい光を捕まえ切れていないのでしょう。その弱々しい光にこそ究極の美が宿っているかもしれないのに。

だから僕は写真の前で目を閉じて見ました。彼の見た虹と僕が思い描き、同時に瞼に浮かぶ虹か同じと信じながら。

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